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6、心理的背景 『早い 安い そこそこ上手い』

地方局のアナウンサーを振り出しに、フリーになってからはナレーターとして音声表現中心の活動をしてきた。
いくつかのプロダクションを経て、その頃は、俳協という大手事務所に所属していた。
その時点でのキャリアは、局アナ時代を含めて、13,4年という時期で、仕事は順調、ストレートトークというナレーションの分野で、そこそこ稼働していた。

発症したのは、1993年頃だ。
どうも調子が悪いと感じ始めて、医者に診てもらったり人に相談を持ちかけた頃、よく言われたのが、仕事のストレスじゃない?ということだ。
特に私は、人の書いた原稿を読むナレーターという仕事をしていたので、自分を表現できないストレスで、無意識に喉をつめているんじゃないの?というものだ。
確かに、自分の感じたことや思ったことを自分で選んだ言葉でストレートに表現する仕事ではない。
だからと言ってそのことが自分を殺すことにつながり、ストレスになるという考え方に結びつくとは思えなかった。

一般の方にはわかりにくいかもしれないが、音声表現にはいくつかの職種がある。
フリートークに長け、機転を効かせながら話を聞き出したりプログラムを進行させていくアナウンサーや司会者。
個性的な声や表現、存在感で、出演する人やキャラクターを演じる役者や声優。
緻密に構成された作品で、制作者や出演者の意図を間接的に表現していくナレーター。

表現者の個性や技量によってクロスオーバーはあり、違ったテイストの表現が新鮮と、もてはやされることも多々あるが、大方住み分けされていて、表現を聴くとどの出身かもわかる。
私の場合は、アナウンサーから徐々にナレーターに落ち着いていった。
キャリアは10年以上で、しかもアナウンサー出身なわけだから、フリートークが得意で、人と話すことが大好きだったら、もっと以前に、そういう方向で仕事をしているはずだ。

仕事に関する不安要素を感じることは、ほとんどなかった。
仕事はいい方向に動いていたし、今までの人生で一番充実していたと思えるぐらいだった。
この状態がストレスというなら、私はこれまでに何度も病気になっていたはずだ。
その時は、100パーセント心因性のものではないという自信があった。

しかし、数年してその時の状況を冷静に振り返ることができた時、私自身の性格というか生き方の癖というか、そういうものが何らかの影響を与えていたのかなと感じることもあった。

当時は、確かに仕事の稼働率という点では充実していた。
番組やCMのナレーションもあったが、数が多かったのはビデオのナレーションだった。
ビデオパッケージ全盛で、また音声応答システムや学習用のコンピュータに使用する音声合成の声素材としての仕事も出はじめた頃で、多く駆り出された。

クライアントは、政府や自治体、教育機関などの公的機関から一般企業まで、多岐に渡った。
取扱説明的なビデオや社員教育用など、数日拘束で何百ページもの台本を読んだり、時には、企業の研修用の宿泊施設に滞在して、専用のスタジオに缶詰になることもあった。

アナウンサーからフリーになり、そう簡単に仕事にありつけるものではないとしみじみ思う時代もあった。
元局アナはごまんといる。始めからフリーで頑張っている人、役者や声優、タレントなど、ライバルは他の業種からも参入する。
その中で、安定して仕事をしていけるのはホンのひとにぎりだ。
冷静に分析すると気の遠くなるようなことだが、それでも続けることができたのは、単純に面白い!と思える気持ちが、不安より優っていたからだと思う。

メディアには、様々な音声表現が溢れていた。
うっとりするような優しくて綺麗な声。
お世辞にも綺麗ではないけれど、耳に残って離れない声。
ハスキーでハッと注意を引く声。
たどたどしい読みなのに惹きつけられる表現。
シャープで迫力のある女性の低い声…

世の中には、今まで自分が発想できた表現の何十倍もの種類の声や表現が溢れ、価値ある商品として存在していた。
フリーになりたての私は、これから自分がやっていけるかどうかよりも、そのフィールドの広さと深さに驚きワクワクし、探索が始まった。
そして、フリーになって一年もしないうちに、当時、テレビやラジオから聞こえる声の持ち主は、ひと声聴いただけで誰かわかるようになった。

フリーになってから、自分はストレートトークタイプだなと漠然と感じていて、それは、多くの可能性の中からそのジャンルを選んだのではなく、自分が勝負できるのは、どうやらここだけかもしれないという消極的な気持ちがあったことも否めない。

CMや番組のナレーションは、周りの反応も寄せられ知名度アップにもつながるので、仕事としては華やかで楽しい。
一方、オンエアにのらないナレーションは、内容は専門的なのもが多く、限定された人のためのものなので、地味な印象はある。
しかし、ビデオパッケージでは、たとえば医療機器や建築工法など、私生活では全く関わりのなかった世界のコアな部分の表現であり、それを説得力をもって伝えなくてはならないので、高い技術力が必要とされる。
聴きやすい声、ミスの少ない安定した読み、長時間の収録でも劣化の少ない声、たった今目にした専門用語に対応できる力…
ビデオパッケージのナレーションに呼んでもらえるのは、ある意味、音声表現者としての基礎力を評価してもらえていることなので、誇らしい気持ちがあった。

いま思い返すと、私自身の仕事の履歴にもそれなりの道筋があったのだなと感じる。
それでも、その頃は、こういう方面にチャレンジしたいとか、こういう仕事をしたいとか、音声表現をさらに磨くとか、そういう前向きな発想や上昇志向はあまりなく、与えられた仕事をただ楽しくこなしていたという印象だ。
ともかく自分を思い出してくれて声をかけてもらえることが嬉しかったし、プロの作り手の中にいられることが楽しかった。

しかし、安定して仕事が入るようになり、少し欲が出てきた頃に、疑問に感じることが出てきた。
継続して使ってもらったり、同じディレクターに違う作品で呼んでもらったり、現場との関係も良好で、少しづつ自分の居場所が広がっていると感じていても、例えば予算のある番組や特番になると、あっさり、役者さんやタレントさん、先輩のナレーターにキャスティングされてしまうことが度々あった。

はじめは、自分はまだまだ若手だから、それほど知名度のないナレーターだからと心の中で言い訳していたが、はたしてほんとにそうだろうかと思うようになった。
このまま使ってもらえる仕事をコツコツつみかさねていけば、将来、今逃した作品のようなものに指名してもらえる人になれるのだろうか?
ひとかどの表現者になれるのだろうか?
そもそもひとかどの表現者って何?どうなりたいの?どこに着地したいの?

そんな自問に何一つ答えられない自分がいた。
明確な目標もビジョンも持たず、ただ稼働していることが楽しい日々は終わったと思った。
今のまま『早い、安い、そこそこ上手い』だけでは、どのみち埋没してしまう。
自分の表現を持たなければと思った。
キャスティングの時に真っ先に思い出してもらえるような表現者でありたいと初めて強く思った。

情けない話だが、十数年仕事してきて、表現者としてどうしたいのかどうありたいのか、自分に正面から向き合ったのは、これが初めてだった。
そして、大きな気づき、ステップと思われたことが、皮肉にも発声障害へのきっかけとなっていった。





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