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52、音声訓練、発声のフィールドを広げる

どこかの回で一度触れたような気がするが、症状がひどかったある時、喉頭が下がった状態で固定していて上方への動きが悪くなっていることに気づいた。
『たとえば』という単語は、二音目の『と』の音が一番高くなる。
『た』からスタートして『と』が一番高くなって、『え』『ば』となだらかに下がってくる。
この『た』から『と』の音がスムーズに移行できず、『と』が押しつぶされたような、時には脱落した感じになる。
普段何気なく話しているときは、音の高低などあまり気にしていいないが、特に、MCやアナウンサー系の説明的な表現では大切な要素だ。
私にとって、詰まる感覚というのは、喉頭の動きが悪く固定された状態でもがいているとほぼイコールだとあるときに気づいた。
こんなふうに、自分にとっての違和感を解剖学的に置き換えることができるというのが、音声訓練にとって大事なことだと思う。

喉頭の動きをつけるための初歩的なトレーニングとして、『あ』と『え』の音を交互に発声することをよくしている。
あくびをするときのように喉を開けた『あ』と、舌根を持ち上げる『え』で、『え』は『あ』より高い音にする。
あくびをするように喉を開けると喉頭は下がるし、舌根を持ち上げ高い音にすれば、喉頭は上がる。
さらに喉の開きを下顎の動きで調整できないように、両奥歯に割り箸を挟んで口の開きを固定して発声してみる。
こうすると喉の奥や舌根の動きだけで音を作らざるを得ないので、その分、喉頭の動きのトレーニングも効率的に行える。
また、できるだけゆっくり発声することもしてみる。
『あ』→『え』と『え』→『あ』の各方向をなるべく等間隔でゆっくり発声してみると、音を作りにくい方向や、一気に行き過ごしたくなる箇所が見えてくる。
そういうところが、普通のスピードで話した時に詰まりやすかったり脱落しやすい個所なので、これでもかと丁寧に発声してみる。
こうすることで、喉頭を動かす筋肉や声帯筋をまんべんなく使うことになり、普段の発声がずいぶん楽になる。

私自身の状態がずいぶんよくなってから受けたボイストレーニングでは、音階練習を多く取り入れ、しかもとても繊細に状態をみていくトレーニングをした。
半音ずつ音をつないで、高い方や低い方へ移動していくのだが、その半音の移動をかぎりなくゆっくりつないでいく。
半音から、2度(ドからレ)、3度(ドからミ)、5度(ドからソ)と間隔を広げていくが、そのつなぎはゆっくりとその間に存在する周波数のグラデーションをまんべんなくなぞっていく感じだ。
3度、5度と間隔が広がっていくと、地声からスタートしても2音目が裏声になってくる。たとえば3度の間隔で半音づつ上げていくと、ガクッと一瞬で声が裏返って移行するポイントにぶち当たってくる。
この地声から裏声に変化するポイントを換声点というらしいが、瞬間にクッと詰まる感覚は、馴染んできた発声障害の感覚とも重なると感じた。
普段の会話や読みのスピードの中で詰まる時の感覚をスローモーションで再生すると、こんな感じなんじゃないかと思った。

同じ質の声をkeepできずに折れてしまう瞬間は、私の感覚で表現すると、どこか肝心の場所が働いていない、もしくは橋渡しするものがうまく機能できずにいるという感覚だ。だから、音階練習をスローモーションで何度も再生しながら、その働く場所や橋渡しするものを探してつないでいった。
『働く場所』や『橋渡しするもの』というのは、内的な感覚なので伝えることは難しいが、たとえば地声や裏声はそれぞれ違う通り道が存在したり、発声の時は、伸筋を働かせて引っ張り合うイメージを音に変換するというのも私の内的な感覚だ。
このように自分に有効な『働く場所』や『橋渡しするもの』を見つけるきっかけを作ってくれたのが音声訓練だった。
この内的感覚というのは解剖学的に置き換えると、多分、外喉頭筋や内喉頭筋を使うことに結びついているのだと思う。
この訓練を期に、私の発声障害の違和感は格段に少なくなった。
詰まる感覚はほとんどなくなったし、長音で、ガッ、ガッ、ガッとブレーキがかかる感覚や震えも、以前よりずっと少ない時間で修正できるようになった。
そして、一瞬症状が出ても、ほどなく治まるから大丈夫と思えるようになった。

私が師事したボイストレーニングの先生は声楽家だったが、民俗学や民族音楽に造詣が深く、音声表現は何でもありで、偏って固定した発声をしないで、持っている機能をまんべんなく柔軟に使えることが大切という考えの方だった。
初めから私の発声障害の訴えには全くというほど注意を払ってくれず、淡々とレッスンを続け、裏声も地声も、仮声帯発声も息声も、喉頭が上がった発声も下がった発声も、吸気発声も、ビブラートも、変顔ならぬ変声発声も、いろんなことに容赦なく挑戦させられた。
何しろほとんどできないことばかりだったのでガックリすると同時に、普通に発声するといういわば氷山の一角の下に、どれだけいろんな可能性が隠れているのかと驚かされた。今思うと、本来持っている発声や声のフィールドを広げて、その広がったフィールドの中で自在に出したい声を選択していけるようになれば、症状は自然に変化していくということを示してくれたのだと思う。

そもそも、震える、詰まるも、広い発声のフィールドの中で起こっている現象だ。それなら、高い声も低い声も、地声も裏声も、詰まる声も震える声も、氷山の下まで全部探索すればいいのだと思った。
そう気づくと、音声訓練中に症状が出てそれを観察できることは、ラッキーなことだと思えた。
そして、発声障害は、普通の人は体験できない発声のフィールドを体験していることなのだと思った。


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51、音声訓練、負の回路駆逐

始めはちょとした違和感だったかもしれない。
症状が長引く中で、解消しようといろんなことを試みているうちに、その人の中で詰まるというのがスタンダードな発声という負の回路ができてしまったのではないだろうかということを書いた。
症状の重い人は、吐く息から音にした途端に詰まってしまうので、その境目を意識させないように、まるで騙すように移行させたい。

とにかく意識すると詰まるので、ダメなものは深追いせずに次から次に色々なことを試してみることにしている。
笑い声とか、腹筋だけで声を押し出すこととか、ストレッチと連動させるなど。
また単語が長くなると詰まる確率も多くなるので、一音での呼びかけなどもストレスが少なく練習できる方法だと思う。
たとえば、鈴木さんは『すーさん』橋本さんは『はーさん』というように。
アトランダムに詰まりが出てくることもあるが、そういう時は、イントネーションや強弱を変えて発声してみる。デタラメな雰囲気中国語みたいな感じだ。
とにかく、思いつく限り様々なバリエーションで試してみる。
負の回路ができあがる前に別のことを試して、スルッと出たいい感触だけを残して、徐々に負の回路を駆逐していきたい。
この延長で、『ミーちゃん』とか『チイちゃん』という名前を、おもいっきり可愛くいってみるとか、ありえない裏声で発声してみるなどというのもいいと思う。既に喉頭を動かす訓練につながっている。

最近したトレーニングの中で、ある患者さんは、『おい、キタロー!』『何だい?父さん』というセリフで、声色を変えて発声することにはまってくれた。
ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじと鬼太郎の会話だ。
『おい、キタロー』は、誰でも思い描ける裏声の定番。
『なんだい、父さん』は、自然な地声の発声だ。
喉頭2型の手術のあと、音声訓練中心の治療に来てくださっている患者さんだが、この短いセリフは、楽しみながらとても自由に発することができて、患者さんにとっては、特に鋭い裏声は安定して発声できるという発見につながった。
そういう発見があるとそれがきっかけとなって新たな良き回路が一つつながるのだと思う。多分。いや絶対に。
良いイメージはたくさん味わって身体にしみこませ、悪い感覚はさっさと忘れるぐらいの気持ちでいたい。悪い時は必ずやってくるが、ずっと悪いままではない。必ずまたいい時が巡ってくるし、一度得たいい感覚は必ず再現できるし繰り返すうちに確実になる。

次回は、音階練習について。

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50、音声訓練、余計な神経回路

前回は、音声訓練の基本として、長音を安定して出せる方向に持っていくこと。
そして喉頭の動きをつけて音の高低を広げていくことに関して書いた。
これができないからこそのけいれん性発声障害であり、何しろ声にした途端に詰まるのだから、できない自分に向き合う音声訓練は相当のストレスを伴う。
それをおしてまで続けるのがいいのかは、正直わからない。
私が音声訓練を受けたのは、良い状態の時もかなり出てきてからで、発症してからもう15年ぐらい経ってからだ。
以前も書いたが、症状のひどい時はまともに声を出せない自分に向き合うことができなくて、どうしても正面きって声を出す勇気がなかった。
ある程度のところまでどうやって回復したのかというと、以前書いたようにがむしゃらにいろいろな治療やワークを受け、いくつか自分に合っていると感じたことを続けてきた。
それである程度まで回復し、しかも音声訓練でさらに安定した状態にもって行けたことで、私の中に自分でほぼコントロールできる感覚ができた。
しかしそんな風にして回復できたことが、実は私はけいれん性発声障害ではなかったという証明の可能性を含んでいるらしい。
どうやらけいれん性発声障害というのは、そういった治療や訓練では到底成果が見込めないほど手ごわい病というのが医学的な認識らしいのだ。

自分の発声障害をベースに、症状や出方、推移、受けた治療や音声訓練になどについて書いてきたが、時々、どういう発声障害か診断名がついていないままの考察は、結局なんの意味もないのではないかと虚しさを感じることもある。
診断を受けて治療を模索している患者さんは、やはり同じ病の患者さんの体験を知りたいのだから。
しかし、発声障害自体、さまざまな人が存在する。
代替医療や音声訓練では1ミリも変化しない人もいれば、変化する人もいる。
けいれん性発声障害も、鑑別に関しては個々のドクターの診たてに任せられていて、共通鑑別法や診断法は確立されていないと聞く。
私がこの二十数年コツコツ観察してきた中で思うことは、診断名はさておいて、私の状態に限りなく近い発声障害ならば、代替医療や音声訓練で十分コントロールできる可能性があるということだ。
発声障害がすべて代替医療や音声訓練で治るとは勿論言えないが、自分の体験と患者さんを診てきた経験から、こういう発声障害であればコントロールできるというガイドラインが示せればと思う。
その一つが、この私自身の体験の記録だと思っている。
だからこそ、治療や音声訓練の内容については詳しく触れていきたい。
そして、西洋医学とは別の視点で、対応可能な発声障害の鑑別法の手がかりも見つけられればいいと思っている。

具体的な音声訓練的な話に戻るが、発症2年後ぐらいから5,6年間、呼吸法を中心にしたボイストレーニングを受けていた。
発症後15年程してから受けた音声訓練とは違い、発声はザッと音階をなぞっていくもので、繊細に状態を観察しながらのものではなかった。
私がもう少し自分に向き合う勇気があれば、できない自分をさらけ出して先生に食らいついて行ければ、もっと早くに何かを得られたかもしれない。そんな後悔の気持ちが、効果的な音声訓練を見つけたいという気持ちの原動力になっている。
それでも違和感がありながらも声を出すことは、喉頭周りの筋肉を衰えさせなかったという点で、やはり良かったと思う。

呼吸法は、それほどストレスなく続けられた記憶がある。
時々、呼吸の段階でも、吐くときにガ、ガ、ガ、ガッっとブレーキがかかる時があった。
多分一番ひどい状態の時だ。
そんな時は、音にすると悲惨なほど詰まったし震えた。
しかし、記憶をたどると、呼吸法中心のボイストレーニングでは、レッスン中ずっとひどくストレスにさらされたままだったという記憶はあまりないので、当時から私の詰まりや震えは、ずっと出っぱなしのものではなく、トレーニングしているうちにある程度コントロールできるものだったのかもしれない。
コントロールという観点で言えば、そう言えば、いつも決壊しないように頑張っていたという感覚がある。その感覚がなんとも不自由で苦痛だった。
明らかに症状が出るというのはもちろんストレスだが、日常生活では、この常に張りつめてコントロールしているという感覚が、何でもなかった時の自分とは明らかに違うことだった。

その後、ある時期から呼吸に関しては問題なく深くできるようになったが、声にした途端、ガッ、ガッ、ガッ!とブレーキがかかったり、細かく震えが出たりすることはずっと続いたし今でもそうだ。
前回も書いたが、特にけいれん性発声障害の患者さんは、呼吸は大丈夫なのに吐く息に少しでも声が混じると途端に詰まってしまう。
たったこれっぽっちのことで、なんでできないのだろうとホントに腹が立ち悔しい気持ちになる。
呼吸を司る神経と発声を司る神経は異なり、発声を司る脳と神経系統の伝達に問題のある病気だから、声にした途端詰まるのだ。
吐く息にほんの少し声がまじるというごく自然な身体の働きの延長上のことなのに、生理学的な観点からみると、呼吸と発声の命令系統には大きな違いがあるということだ。
そして声にした途端詰まるという、まさに障害の律儀すぎる緻密な指示系統に驚かされる。そんなに頑なにならずに、少しはしてほしいことを察して融通を利かせてほしい。
このような特徴から、呼吸の呼気に乗じて、なるべく声帯をキツく閉じないままで声を出そうというのが、定番の溜息から始めるという発声の目的だと思う。

しかし、前述したように、声にした途端詰まってしまうし、そもそもけいれん性発声障害の患者さんは、声にするコンマ何秒か前の一瞬で、さぁこれから声を出すぞというふうに構えてしまう習性ができているような気がする。
多分、不自由な発声をなんとかしようともがいていうるうちに、声を出すということ自体が、詰まる、震えるとイコールの回路ができてしまって、一瞬の間に、その回路を選んでしまうようになってしまったのではないだろうか。
当たり前にできていたことができなくなって、それを取り戻すために分解したり組み立てたりしているうちに、余計な神経回路を一個作ってしまったのではないだろうか。

私は、ナレーションの仕事で、反対語や似た言葉が出てくると、読み違いする確率がぐんと増える。
右と左、上と下、縦と横、東と西、論理と理論、記述と記載、認証と承認...など。
読み違いが結構多いので、どうしてだろうと考えてみるに、その言葉を声にする前のコンマ何秒かの間に、頭の中で、万全を期してかどうかはわからないが、読み違えの可能性のある言葉をわざわざ一度引き出して、『これは違うからね』という確認作業をしているのではないかと思う。
で、確認作業中の神経回路が混線している一瞬の間に、よりによって違う方を選んでしまうという残念な結果。
けいれん性発声障害の、声を発すること自体がイコール詰まる、震えるという回路ができてしまったのではということも、根本では似ているのではないだろうか。
真面目に向き合えば向き合うほど、慎重になればなるほど、悪い状態を分析すればするほど、これはNGグループだからねという余計な神経回路が一個できて、それがかえって邪魔している気がする。
職業性のジストニアは、もしかしたら思考も身体の部位の使い方も、専門的な分野ゆえに探求せざるを得ない職業的な性が、余計な回路を作ってしまったのではないだろうか。
また、けいれん性発声障害は、先進国に多く見られる病であるということも、真面目な性格の方が多いということも、真面目に向き合えば向き合うほど、慎重になればなるほど、悪い状態を分析すればするほど、余計な神経回路が一個できてしまうのではないかという仮説に符合する気がする。

本来の発声を取り戻すイメージは、単純な神経回路を作ること。
ため息より自然な状態で、目指すは、まるで騙されたまま吐く息から声に移行する回路を作りたい。
次回は、今度こそ具体的な音声訓練について。