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40、なんでもいいから治りたい

治療内容や音声訓練について書いてみたいと思う。

発声障害の患者さんと話をする機会が増えるにつれて、特にけいれん性発声障害については、代替医療や音声訓練で治すことはほんとに難しいと感じる。
前述の患者会のTさんは、10年間熱心にボイストレーニングに通ったが効果は上がらず、症状が加速していくと感じた時にけいれん性発声障害と診断され、手術を受けたと聞いた。
やはりけいれん性発声障害で、声の仕事をしていたAさんも様々な音声訓練を受けたが、大きな変化は得られなかったという。
声の仕事をしている人は、一般の方より感覚が鋭敏な分、簡単な発声でも思い通りに声を発することができないのは辛い体験だと思う。
私は(けいれん性発声障害とは診断されていないが)症状がひどかった時は、できない自分に向き合うのが怖くて、音声訓練の門は叩けなかった。
なにしろ『あー』という声すら出せなかったから、これ以上ダメな自分を更新するのを目の当たりにするのはやめようと思った。メンタルが持たないと思った。

専門医の間では、けいれん性発声障害に関しては、音声訓練では変化しないというのが共通理解だそうだ。
それでも、手術後に回復しきれなかった声の状態や、また症状がぶり返したことに対するケアに関しては、音声訓練で良くなった方の体験談を聞く機会もあったし、ボイストレーナーの友人が担当した患者さんで回復した方の話はたくさん耳にするし、私自身も担当した患者さんが回復していく様をみている。
西洋医学では、外科手術や投薬という方法で、多少の個体差にかかわらず多くの患者さんをバサっと治すのが得意だが、代替医療や音声訓練は、個体差に向き合うことでこぼれ落ちてしまった患者さんをすくいあげることが適しているのだろう。

音声訓練に関しては、専門のドクターのもとで言語聴覚士(以下STと表示する)が行うのが一般的だと思うが、経験豊富なボイストレーナーも精力的に取り組んでいると聞く。
私も患者だったのでよくわかるが、とにかく早く治してほしい。
治してさえくれれば、患者さんにとって資格のあるなしなんてどうでもいい。
今やネットを検索すれば、けいれん性発声障害は治せると豪語する治療家やボイストレーナーのHPにヒットする。
どのぐらいの満足度なのか分からないが、そのようなところをひとあたり渡り歩いて、ウチの治療室にいらっしゃる患者さんもいれば、逆にウチからそういったところに流れる患者さんもいらっしゃる。
それこそ、私も患者だったのでよくわかる。
私の時は、今ほどネット社会ではなかったが、私もありとあらゆる音声外科の門を叩いたし、手当たり次第に治療を受けた。
早く治してほしいからドクターショッピングも治療ショッピングも音声訓練ショッピングもするのだ。
こんな状況の中で、患者側、治療者側、それぞれ何をどうしたら、お互いにとってよりよい未来が開けてくるのかなと考えてみた。



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39、私らしいかな?

もがいていた時期には、去っていく人もいれば、私の方から去ったこともあれば、変わらず近くにいてくれる人もいた。
前回、お世話になったミキサーさんのことを思い出した時に、あ、そうだ!
今の私の活動につながるきっかけを作ってくれた人がいた!と重要な人を思い出した。
元俳協のマネージャーで、現在は独立してプロダクションを持ち、スクールバーズというナレーションスクールの校長もつとめるY氏だ。
Y氏が声をかけてくれて、そのナレーションスクールで、開校当初から講師をさせていただいている。もう9年になる。

はじめてお話をいただいた時、私は、講師のタイプではないのでできないとお断りしたそう。
というのは、そういうお話をいただいたこと自体、よく憶えていないのだ。
プレーヤータイプを自認する人間が、自由に表現できず、もどかしい状態が続いていたから 複雑な気持ちだったのだと思う。
肝心の声に関して不自由を抱えた自分は、表現について語る自信も資格もないと感じていたに違いない。

当時私は、治療院で働きながら鍼灸学校に通い、そして声の仕事もしていた。
そういえば活動的で聞こえはいいが、発声障害を自分でなんとかしたいという気持ちと、声の仕事から遠ざかっていく焦燥感を抱え、生活を維持していくことの厳しさに直面していた。
前向きに頑張ろうという気持ちがあっても、声の仕事は自信を持って手を挙げられる状態に回復してはいない。治療の仕事はまだ緒に就いたばかり。治療家として自分らしい特徴を持つには、まだ数年の模索が必要だ。
ただ、治療の勉強を始めた時から、声とその土台である身体と心の関係をみていきたいということは漠然と思っていた。

何度か話をする中で、心に残ったY氏の言葉がある。
『スクールで伝えるのは、技術だけではない。
あなたがこの業界で、悩み苦しみながらも歩んできたその背景を伝えてほしい。
どんな苦悩があり、あなたはどう向き合い、周りからどんな助言をもらい、その中で何を学んで今のあなたがあるのかを伝えてほしい。
成功を目指すことも大切だが、この世界で長く生き抜いていく逞しさこそ一番大切なことだから』

その言葉が、時間が経つにつれて私の胸にしみ入った。
自分の発声障害を治さないうちはと、治療も一人前になってからでなければと、中途半端な自分に大きなダメ出しをしている私に対して、その経験こそ宝だと言ってくれる人がいる。
場を与えてもらえることに感謝して受けてみようと思った。
偉そうなメソッドは何もない。
謙虚に学んだ基礎知識以外は、すべて自分が体験したことが軸になる。

ここ20年の間に、いくつかの呼吸法、ボイストレーニング、ボディーワーク、治療を受けてきて、いつも思うことがあった。
たとえば発声に関して、ある先生は呼吸法中心、ある先生は喉頭の筋バランス、ある先生は滑舌や響きなど、それぞれの先生の得意とする分野のメソッドに従うことになる。
ボディワークや治療法も、何かしらのマニピュレーションがあったり、働きかける部位が決められている。

発声の専門家でも、発声やボイストレーニングをナレーションに反映させるということに関してはもどかしさを感じることがあった。
同じように、身体の専門家でも、それが発声や音声表現にどう結びつくかをみることは難しいし、ましてやナレーションの評価は専門外だ。
つまり、音声表現は、身体が土台でありながら、『発声』『読み』『身体の不具合』は、別々の専門家にバラバラに診てもらわなければいけないのが現状だ。
そんな中で、トータルで診てくれる人がいたらなぁ…ということをよく感じていた。

だから、自分がやりたいことは徐々に明確になっていった。
メソッドや治療法に当てはめるやり方ではなく、個々のクライアントの事情にあった方法を見つけ、パフォーマンスとその人の元気の元をアップできれば嬉しい。
スクールバーズは、私が自分の発声障害を通して見つけた新たな表現の場を、真っ先に提供してくれた大切な場所だ。

と、きれいにまとめたいところだが、スクールバーズでの9年間は、決して安穏としたものではなかった。
鍼灸学校の卒業試験や国試を前に大変な時もあったし、発声障害がぶり返したこともあった。
そんな時は、朝目がさめると憂鬱で、私の人生はやはりこの問題で崩壊してしまうのだと、不安でいっぱいになることもあった。
それでも、なぜかレッスンの前には、そこそこ穏やかな状態でいられて、終わる頃には完全にレッスンに集中している自分がいた。
そんな繰り返しの中で、9年間勤めてこられたのは、冒頭のY氏の言葉、それに応えたいという一応私の責任感、そして『発声』『読み』『身体』をトータルでみたいというささやかな野望…
こんなことに支えられたのかなと思う。
そしてもう一つ、すごく大きいのが表現を聴くという場。
この教室の中のエネルギーが、すべての雑念を追い払って、私を無の状態に引き込んでくれたのかもしれない。
そういう場を作ってくれる生徒さんには、ホントに感謝だ。

しかし、これで終わりかというと、決してそうではないことも十分承知だ。
もう20年以上も付合っているが、いつどんな状況で出るかわからない。
今では、もしレッスン中に出たら、そのときは、究極のありのままの私のレッスンと開き直り、生徒さんに発声障害の状態を観察してもらう心の準備は出来ている。

これから先、多分治療の仕事とクライアントの声や表現を聴く仕事は続けていると思うが、自分自身がプレイすることに関してはわからない。
もちろん、今しているナレーションの仕事はあるし続けるが、それだけが本業の時のように声の仕事に復帰するかどうかはわからない。
正直、プレーヤータイプの私にすれば、そこから遠ざかっていくことに一抹の寂しさは禁じえない。
受けた仕事は涼しい顔しながら必死で頑張るが、いつか、自分を卑下することも鼓舞することもなく、何の不安も心縛られることもなく、ありのままの穏やかな気持ちのままに声を出し、仕事ができたらと思う。

もちろん、今の私を知る人は、もう何でもないよと言うけれど、深いところに残る根だか芽の感覚は存在している。
その感覚に鈍感になるのも敏感になるのもその人次第だ。
誰かに治してもらおうと、いろんな方法を手当たり次第に試みていた時なら、私は迷わず鈍感になるほうを選んでいたに違いない。

でも今は、乗りかかった船じゃないけれど、ミクロになってやがて消えるまで見ていたい。
消えなければ見続ける。
心縛るものから解放されたいと思いつつ、見続けるという矛盾。
ふと忘れ、ずっと忘れたままならそれもよし。

とりあえず今日の段階では手放すことはできずに、こうして観察してる。
その執着心もまた私らしいということなのかもしれない。