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38、Open or Closed

必死でもがいているときは、ともかく真っ暗闇で出口が見えないと感じていたが、冷静に思い起こすと、 気にかけてくれていた人が存在していたことに気づく。

一番ひどい状況からは少し回復してきた頃、週に3日ぐらい入っていたある番組で、私の声について、これはちょっと問題だとチェックが入ったという。
アナウンサー出身のプロデューサーの指摘に、ずっと現場で一緒だったミキサーさんが、
『彼女が一番苦しんでいると思うから、もう少し見守ってくれないか』と、発言してくれたと聞いた。
その時まで、私が自ら不調を訴えたことは一度もない。
毎回、薄氷を踏む思いで収録を終え、釈然としない気持ちで帰るという日々を繰り返していた。
でも、ミキサーさんは気づいていたのだ。
直接私に質しはしなかったけれど、プロフェッショナルの観察眼で私の不調はお見通しだった。
何も言わずに、しかし重要な局面で擁護してくれた。
それこそプロフェッショナルとしてダメだしされたことはショックだったが、私の状態に気づき見守ってくれている人がいたことは嬉しかった。しかも同じ現場で同じ作品作りに携わってきた人だ。
『ちゃんと戻ってこいよ。待ってるからな』そう言われたようで、涙がこぼれそうになった。信頼を取り戻せるように頑張らなければと思った。

声の仕事に携わる人の発声障害は、なんとも辛い。
時々、テレビを観ていて、出演者やナレーションで、多分発声障害なのではと思う方に出くわすことがある。
そういう時は、観ている(聴いている)私の方までドキドキして胸苦しくなってしまう。
売れっ子で露出が多ければ多いほど世間の目にさらされ、ネット社会の現代では、あっという間に風評にさらされることになる。

数年前から、私自身の発声障害のことを公表し、微力ながらも患者さんを受け入れてきた。
今のところ、同業者の患者さんは確かに多いと感じるが、他の職業に比べて圧倒的に多いという感じはしない。
しかし、職業の特殊性から言い出せずにいる方は多いような気がしている。

そもそも、声自体が商品でもあるわけだから、そこの部分にまつわる不具合に関しては、言い出しづらい。言い出したところで、状況が変わるわけでもなく、自分に対するマイナスイメージが増すばかりで何の解決にもならない。
一方で、発声の変化に関しては、誰よりも本人が一番よくわかっているから、本来の自分ではないもどかしさや腹立たしさと同時に、周りに迷惑をかけてしまうという思いで、気持ちはいつもヒリヒリしている。

私自身も、発症してから20年経った今でも、こうして自分のことを書こうとすると、触れたくない過去をこじ開けるような、生傷に触れるような痛みを感じブレーキがかかる。
つまらないプライドなのか見栄なのか、実は未だに受け入れられていないのか、自分でもよくわからない。
それでもなおブレーキがかかる要因を探してみると、状態が悪いと気づいていつつ、それをおしてしてしまった仕事がたくさんあったことだ。
そのことに対する申し訳なさが、ずっと心にのしかかっている。
もちろん、それでもOKをもらった仕事はたくさんある。
今では、担当のディレクターも、すでに現場を離れている方がほとんどで、すでに遠い昔の出来事になってしまっている。
それでも、頑張ったけれど不本意な仕事をしてしまったというあの感覚は、生々しく残っている。

読んでいる方は、度々出てくるこの逡巡にほとほとうんざりだと思うが、私自身は、この部分に丁寧に向き合うことが、私らしい『ノンフィクション発声障害』なのかなと感じている。
仮に、つまらないプライドや見栄がブレーキをかけているとしても、それ以上に、今は、私の体験が誰かの役に立てばという気持ちが優っていることは事実だ。



この6月に、SDCP(発声障害患者会)の会合に参加した。
たまたま、アナウンサーをしていた局の後輩で、SD(けいれん性発声障害)を患ったTさんがいて、患者会の存在は以前から知っていたが、彼女を通じて会の活動を具体的に知るに至り、参加するようになった。
Tさんは、17、8年前に発症、おかしいなと気づいてから診断までに12、3年かかったという。
5年前に、SDの診断を受けてからわずか3ヶ月で喉頭2形の手術を決心した。
職業柄、痛いほど共感できることがたくさんあり、Tさんと話すとついつい時間を忘れてしまう。
発症後や手術前後の紆余曲折は、のちにゆっくり紹介するとして、Tさんは、患者会の中心メンバーとして活動している。
SDという病を広く知ってもらうこと、ボトックス注射の保険適用の働きかけ、専門の医療機関や最新の治療についての情報提供など、患者会は積極的な活動を行っている。

Tさん始め患者会の方は、実によくSDのことを知っているし、自分の体験を事細かに話してくれる。
手術の経過や治療の内容など、よかったことも悪かったことも自分の身に起こったことを包み隠さず話してくれる。

Tさんは、手術後3年間は調子が良かったという。
3年越えたあたりで、喋り始めや句読点で詰まる感じが出てきたという。
手術後、何らかの物理的な変化がでてくるのか知りたくて、医者にはずっと経過を診てもらっている。
詰まりが出てきた時に声帯の隙間に変化があるのか、声帯にむくみがあるのか、締める力が強くなって隙間が狭くなっているのか…
診てもらったところ、声帯自体に変化はないという。

Tさんは、今、自身の朗読会に向けて、本番にいい状態を作るべく時期を逆算して、ボトックス注射を調整している。
ボトックスの量によっても、声帯筋の片側に打つのか両側に打つのかによっても、状態が変わってくるという。
医者と相談しながら、詰まりが出ないように、しかし嗄声にならないように、自身にとってベストの状態を探っていく。
まるで大きな大会に向けてトレーナーとともに調整するアスリートのようだと思った。
医者と患者というより、同じ目標に向かうパートナーだ。

その経過の全てを、Tさんは問えば答えてくれる。
頻繁に主治医に診てもらうのもデータを提供したいからだという。
定番の手術や治療法が確立されつつあるが、効果は人によって千差万別だ。
だからこそ、微妙な調整のためのデータは多く必要になってくる。
少しでも多くの症例を提供するから、次に続く患者さんへの効果的な治療に反映させてほしい。
そんな想いが伝わってきた。

Tさんに限らず、患者会の皆さんのそういう思いは、会に参加していてストレートに伝わってきた。
治してもらうという受け身ではなく、主体的に治療に参加し、経過をフィードバックし共有する。そんな前向きなエネルギーに溢れていた。
私が発症した頃は、発声障害自体よくわからず、ネット環境も整っていなかったので、これほど同じことで悩む人が存在するとは思ってもいなかった。
一人で鬱々とすることが多かったが、この患者会で私自身が元気をもらったことは確かだ。

声を生業とする人の発声障害について、今取材を進めている。
患者会の患者さんのように、オープンに語り合うことが出来たら、もっと楽になれるし有効なことも共有できるのではないかと思っている。
ついつらい体験を想像しがちだが、もしかしたら、密かに治療を受け治った方もいるかもしれない。
その体験の一つ一つは、自分以外の誰かの元気につながる可能性を秘めている。
はいっ!と手を上げる方がいれば、是非話を聴かせてほしい。

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37、1から10を味わう

自分の問題を遠巻きに、ズバっと核心に切り込むことはできなくても、それなりに傷つかないように、でも自分を鼓舞しながらやってきたんじゃないかなと思う。
実際の声の仕事と治療の学びや治療の仕事を続けていく中での心理的なグルグルは、前述したとおりだが、肝心の声の状態はどう変化してきたのか振り返ってみると…。

収拾がつかないぐらいのひどい症状で、現場から戻ってきたり現場に行けずに代わってもらったことがあったのは、センサリーアウェアネス1のあたりまでか。
その後は、不安を抱える日常で悶々とし、現場はなんとか切り抜けてきた。
そして、療術の学校以降は、発作的なものが出ても収録が終わるまでには、なんとか折り合いをつけられるようになった。
そして、鍼灸学校のあたりでは、発作的なものは出るけれども、最終的には良い状態で終了し、しかも以前より自分が表現したいと思ったように表現できるようになったと感じた。
つまり、発声障害を発症する以前より、基礎的なところが改良され、良いパフォーマンスができるようになったということだ。
これは私の感じ方なので、聴いた人によっては、変わらないとか、声が低くなったという感想をもらった。
実際に、ストレスなく声が出せている時は、使える音域も地声の幅も広がり、声の安定感が増した。
息漏れが少なく響くようになり、長時間使っても疲労感が少なくなったと感じた。

ただジッとしているだけで、元に戻ってきたわけではない。
せかされるような気持ちで受けてきたボディワークや呼吸法をはじめとしたエクササイズだったが、治療の勉強を始めたことで、あ、そうなのかと、つながることが多くなってきた。
症状がひどく、『あー』という何でもない長音さえスムーズに出すことができず、そんな自分に向き合うことが怖く迂回してきた音声訓練だったが、受けてみれば多くの発見があった。
仕事に入るときに常に感じる、発作が治まらないままだったらどうしようという不安感の一方で、大丈夫、絶対治まるから!という気持ちが芽生えてきた。

ただ、そういういい状態になってから、一度グッと落ちたことがあり、その恐怖感から回復するのに数年かかったことは、前に触れた通りだ。
今でも、ボイストレーニングで、声を出し始める音階練習の最初では、必ず、ガッ、ガッ、ガッと声が詰まる。
不意に発する『こんにちは』や『おはようございます』が詰まることはしょっちゅうある。

もちろん、いまだ脱しきれていないのだという悲観的な感情があることは否定しないが、なすすべもなく悩んでいた頃よりはずっといい状態に変化したことは事実だ。

身体の状態やパフォーマンスが、いいも悪いも含めて1から10あったとする。
普通の人は、常に5から8あたりで、平穏無事、安定的に使えている人だとする。
一方、病気になったり、調子を崩す人は、1まで下がったところを体験した人だ。
その人が、自分を観察し、気づきや鍛錬をコツコツ積み重ねることで1から5に引き上げてきたとする。
さらにその先の10まで時間をかけて体験し、体験できないまでも何が必要かが想像でき、やっと普通の人と同レベルの5から8あたりの状態やパフォーマンスまでもっていけるようになったとする。

最初から5‐8の人と、1-10をつぶさに体験した人とでは、身体の可能性を知っているという点で1-10の人に一票入れたい。
可能性を体験したということは大きな強みだ。
自分自身に対する信頼性に結びつく。そして1を体験したことで弱者の気持ちがわかる。
『逆境こそチャンスだ!』的な短絡的な思考は持ち合わせない私だし、できれば逆境は体験したくないが、してしまったからには、そこから学ぶしかない。

発声障害という問題に向き合うことは、特に声の表現者にとっては並大抵の辛さではない。
あたって砕け散ってしまったのでは、取り返しがつかない。
信頼を損ねたり、活動の場さえも失ってしまうリスクと隣り合わせだ。
かといってあっさり引いてしまっては、復活するまでに、さらに多くの心理的物理的葛藤と向き合うことになる。

小心者の私は、自分でも傷つきたくないし、周りにも悟れたくない気持ちでジタバタしてきた。
ただ、自分自身の観察は怠らなかったと思う。
具体的なエクササイズは後述するが、すべて普通の健康の底上げ的なものだ。
それが加速度的に変化してきたのは、ところどころに、あ、そうだったんだ!という私なりの、ささやかだかれど大きな発見がつながってきたからだと思っている。

それでも発作は出る。イヤになるほどダメな時はある。
自分はそういうものだと諦め、そして、今、1-10の貴重な1を体験しているのだとその感覚を味わってみる。
正直余裕はないけれど、そういう気概は失いたくないと思っている。