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28、ジストニー先生

ジストニアにとても前向きに向き合い、私自身がいろいろ触発される患者さんのことを書きたい。
一年ほど前から、主に咬筋のジストニアの治療で通ってくださっているKさん。
30代の男性だ。
発症から2年半経過する中で、神経内科でボトックス注射を勧められたが、ほかに手立てはないかと治療法を模索して治療室を訪れた。

始まりは、いつもの口にしているある言葉がピタッと決まらず、なんとなく違和感を感じたことだという。
気にしているうちに、構えるせいかその言葉がうまく喋れなくなり、しだいに、噛みしめたり、口が歪んだり、舌がこわばったりすることも出てきたという。
また、口の周りだけではなく、首周りや肩周りもこわばり、首がのけぞったり片側に曲がるという動きが頻繁に出たこともあるという。
ひどい時には、まわりに聞こえるぐらい大きな歯ぎしりの音が出たり、また歯ぎしりがひどく奥歯が欠けたこともあったそうだ。
口周りのこわばりがひどい時には、真ん中がどこなのかどっちに歪んでいるのかがわからなくなったり、唇や歯茎、舌がひとかたまりになってパーツの感覚がなくなってしまうこともあったそう。

彼の職業は役者だ。
これらのことが、仕事中に起こったことを想像してみてほしい。
役者であるKさんにとって、咬筋(歯を食いしばる筋肉)や表情筋に症状が出るというのは致命的なことだ。
思い通りに身体が動いて、それが前提の自分自身の表現なのに、身体のコントロールに多くのエネルギーを費やさざるを得ないもどかしさや理不尽さ。
職業性のジストニアには、想像を絶する苦悩がある。
経済的なところに直結してくるのはもちろんだが、アイデンティティに関わる問題でもあるからだ。
Kさんは、症状を抱えながら年に数回舞台に立ち、アミューズメント施設で役者として活動している。

症状は、始め、仕事中に出ることが多かったという。
声の出演での出来事だったので、パニックになりながらも、外から異変がわからないように必死で繕ったそうだ。
いつ出るかわからない症状に苦しみながらも、Kさんは、症状を観察してやろうという気持ちでブースに入ったという。
始めのころはパニックで真っ白になっていたのが、徐々にいろんな工夫を試してみるようになった。
鏡を見ることで、出ている症状とそれを感じている自分の感覚のズレを確認したり、また、触れることで頬や唇、顎、首なのパーツの感覚を確認すると症状をコントロールしやすくなることを見つけていった。
そのほかにも、意識の向け方、身体の動かし方、声を発するタイミングなどいろんなことを工夫して、なんとか喋れるように研究したそうだ。
一番激しい症状が出ている時に、外からは分からないように必死でコントロールしてきたその心の強さと役者魂にはほんとに感服する。

ここからが、私が伝えたかったもう一つの重要なことなのだが、症状と向き合う中で、Kさんは、いつからか、その症状を引き起こすものに『ジストニー先生』と名前をつけて、傾向と対策を練ってきたという。
ここで、前に触れた頚性ジストニアの方の『ドミンゴス』、私の『クロス』との妙な共通点に苦笑せざるを得ない。

最近では、Kさんは、
『楽しい飲み会の時に、症状が出たんですよ。
僕が楽しいんだから、ジストニー先生も楽しみたいのは当たり前かな』と。
またある時は、
『ジストニー先生には、マイブームがあるみたいで、今は、舌根の感覚がそれなんですよ』とも。

症状と向き合うことは大変だったけれど、実はいろんな発見があって、学ぶことも多かったと感じることが、『ジストニー先生』という呼び名になったそう。
ちなみに、ジストニー先生は彼の右肩のあたりにいて、彼のイメージを奥様がイラストにしてくれたものがあるらしい。
ぜひ拝見したい。

『ジストニー先生』も『ドミンゴス』も『クロス』も、苦しみながらも、敵対するのではなく、自分の中に共存する一部として受け入れた象徴だろうか。
できることならなるべく穏やかに暮らしてほしい。


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27、回路のでき方

病の原因を心とのつながりで見ていくことは、深追いしすぎても無視しすぎても良くないのかもしれない。
そこらへんを、いい加減で、ほんとに程よい加減で、スルスル通り抜けられるのが、きっと現実を生きていく賢い術なのだ。

発声障害の始まりは、電気回路のほんの不具合だったのかもしれない。
単純な不具合を繰り返すうちに、その時の不安な気持ちや出来事の記憶が発声障害という不具合とセットで蓄積されて行き、いつからか不安な気持ちやちょっとした出来事が不具合と招くという逆走パターンになるのではないかと思った。
気づいたときには、かなり太く余計な神経回路ができているということだ。

その回路ができるプロセスを、多くの人が誰でも抱えてしまいがちな感情まで掘り下げれば、感情が原因という理屈は成り立つと思うが、そうなると、もう世界中のいろんな問題がそこに集約されることになる。
私自身の物理的な問題に行き着くまでのいくつかの層を、私はセラピーでコンパクトに体験したのかもしれない。

体験したことは少なからず身になるということも実感した。
自分は、こういうパターンで物事を考える傾向がある人なんだということが、よくわかると、同じような状況に陥った時に、あ、また同じことをしようとしていると、少し冷静な目で自分を見ることができる。
その渦中の時は、とても近視眼的な物の見方になっていて、自分のパターンに陥りやすいものだ。
それに気づくことで、無防備にズルズルと同じ罠にかかるという状態から脱することができる。
日常生活の中で、自分の中に、もわーっと嫌な感情が湧き起ってきたときは、一歩引いて、パターンに飛び込みそうになっている自分を観てみた。
日々の生活の中で、ネガティブな出来事よりもポジティブな出来事を拾うことを心がけ、特に、どんよりした時こそ、小さなことでいいから『今日のOK』を探した。
発作が出たときは、『大丈夫、乗っ取られたままではない、絶対に元に戻る』と言い聞かせ、その場を乗り越えられたら、解放された感じを思いっきり味わうことにした。
つまり、新しいポジティブな回路をどんどん作っていくことだ。

心理系セラピーに関しては、発声障害に役立ったというよりも、もっと根本の、自分の物事の捉え方やそれに伴ってつきまとう感情を把握することに役立ったと思う。
そして、感情の解放について言えば、手放せたものも手放せないものもある。

実家に戻って数日過ごし、東京に帰ってくる時の何とも言えないモヤモヤした気持ちは、初めて感じた十代の時と全く変わっていない。
先行きどうなるのか全くわからなかった十代の頃、学校を出て職に就き自活できるようになった頃、介護で行き来する今…
年齢も状況も全く違うのに、帰るときに去来する思いの質は、一ミリも変わらない。
何か後ろ髪引かれる思いや、でも自分が選んだという譲れない思い、寂寥感、心細さ…
ずっとずっと当たり前のように続ければいつかは日常になるはずと言い聞かせ、自立した大人になればきっとなくなると言い聞かせ、続けてきたが、その瞬間は、いつもと同じ何とも言えないモヤモヤした気持ちがこみ上げてくる。
家族の問題は、私にとって特大級の何かがあるらしい。
それでも、あ、また同じ気持ちになっている自分がいると認めつつ、誰のせいにもしないで、今自分ができることを淡々としていくというスタンスは、ここ数年で私自身が作り上げた新しい回路だ。


この記事のみを表示する26、集約される感情

26、集約される感情

目の前に大きな鏡がある。と想像する。
等身大で奥行きのある箱のような鏡だ。と想像する。
その箱のような鏡に、自分がこうしたいと思ったことより、こうしなきゃを優先させてしまったことをどんどん放り込んでいく。
父に対している時、母に対している時、学校での自分、家での自分、弟に対している時…
出来事や、怒ることができなかったこと、泣けなかった時の気持ち、我慢したこと、夕陽が悲しかったこと、草いきれが苦しかったこと、飲み込んだご飯…
思いつく限りを放り込んだら、もう一度9才の自分にズームしていった。

まきストーブが赤々と燃えている放課後の学校。
スキー部の練習が終わって、どやどやと更衣室に戻ってきた仲間の中に私がいる。
赤い帽子をかぶって鼻水が少し流れている。
程よい疲労感と充実感。
汗ばんだ背中から、エイ!とタオルを抜き取った時の得意げな顔。
背中に一瞬心地のよい涼しさが広がって、身体中の細胞が深呼吸したようなカンジ。

時間は瞬く間に進んで、真夏の昼下がり。
川で泳ぎ疲れて帰ってきた私がいる。
すっかり冷え切って、歯がガチガチ言っている。
でも、ゴロンと横になった時の気持ちよさ。
畳は程よく暖かくて、陽だまりの匂いがした。
台所の方からは、母の動く気配がする。
もうすぐおやつが来ると、ワクワクしている。
あぁ、そうだ、幸せを感じる瞬間もたくさんあったんだと思った。
安心できる場所と守ってくれる人もまた、そこに存在していたのだと。

ポジティブな感覚を十分思い出したあとで、これからの私の生き方のシンボルとなるような言葉を、ファシリテーターと一緒に考えた。
『私は、自分が楽しいと感じることをすることを選択する』
そう決意表明してセッションは終了した。

この体験までに、スリーインワンは数回受け、この後も心理学系のセラピーはいくつか受けているが、印象深かったセッションを振り返った。

この体験を機に、私は変わったのか?
私の発声障害は好転したのか?
結論から言えば、良くなったこともあったし、また揺り戻しがあったこともあったというのが、正直なところだ。
心に残るセッションやセラピー、治療のあとでは、気持ちが穏やかになり、一瞬の晴れ間を感じることができた。

また、ふっと気づくといい状態が続き、音楽を聴いたり映画を見たり、ショッピングを楽しんだり、友人と食事をしたりの日常を楽しんでいる自分がいた。
しかし、あ、もう大丈夫かなと思う頃、今までの努力をあざ笑うかのように、悪い状態がぶり返してどんよりした。
落胆と絶望の間を行き来しながら、振り返ってみれば、その振り幅は確かに小さくなっていると感じたのは、発症から7,8年経ってからだ。

発症から18年経って、ほとんどストレスを感じることなく過ごせていたある時、久々大きな発作に襲われたことがあった。
発作の直前まで、声を出すことに関しては、ほんとに何の不安もなく、発声障害は遠い記憶の彼方という状態だったのに、あれ?これなんだろう?と感じたホンの一瞬の隙を狙って、一気に何者かに乗っ取られた。
突然、制御不能な『大きな震え』に見舞われたのだ。
過去に比べても最大レベルの事態だった。
その時の恐怖感は、一瞬にして時間を遡り、記憶の中で一番辛かった時の心理状態へと、私を一気に突き落とした。
まただ。何も変わっていない。逃れられない…そんなネガティブな感情が渦巻き、ポジティブな方向へ転じさせる要素は一ミリも入り込む隙がないような閉塞感にとらわれた。
しかし、数分するとその乗っ取られ感はなくなり、普通に声を出すことができた。
今度は何事もなかったかのように、普通の状態が戻ってきた。
それでも、その出来事が引き金になったと思われる発作は、それから度々起こり、いい状態に戻すには1年以上かかった。

新しいストレスの背景は、わかっていた。
実家の両親の介護問題だ。
年に数回は帰省して気にはかけていたが、父を介護しながら実家を守っていた母が怪我をし、二人だけの生活がたち行かなくなったのだ。
一報を電話で聞いたときは、それこそ心臓がバクバクいった。
自分のことで精一杯だった間に、両親は確実に歳をとっていき介護を必要とする年齢になっていたのだ。
この介護問題が引き金になった症状を経験することで、引き起こす原因は、日々更新されていくんだと思った。
導火線は、きっとそこらじゅうに転がっている。
問題は、きっかけとなる一つ一つの出来事ではなくて、出来事の根底に集約されている感情なのだと気づいた。

逃れられないと感じる閉塞感。自分の生活や仕事はどうなるのかという不安感。
自分がなんとかしなくちゃならないと感じる切羽詰まった感情。
今まで放っておいたという罪悪感。

そういえば、私が治療の仕事を始めたばかりの時も、よく発作が出た。
患者さんと会話するときに、腹筋がこわばってうまく息が吸えない、吐けない、そして『大きな震え』や『小さな震え』が出ることがあった。
声の仕事じゃないのに、ここでもこの問題から逃れられないのかと、絶望的な気持ちになった。
この出来事の根底にある感情は、きっと声の仕事に対する感情と重複しているとずっと後になって気づいた。

プロとしての仕事ができているのか、する資格があるのか、する価値のある人間なのかという自分を問い詰める感情だ。
自分に対する厳しさといえば聞こえがいいが、要は、発声障害に陥ることで失ってしまった自信と、それに伴って増していった自己肯定感の低さが根底にある。
つまり、仕事が違っても、集約される感情は同じで、そして同じ症状が出るのだ。
スリーインワンが解放しようとしているのは、この集約された感情このとなのだと気づいた。

理屈がわかるというのと、そのことを体感したり、ほんとに腑に落ちるというのとでは、天と地の違いがあるとしみじみ思う。
さらに、なにかの折にまた一段階、自分なりの深い理解が起こったりすることもある。
そういう意味で、もう20年近くも前に受けたセラピーのことが腑に落ちてきたのは、ほんのここ数年のことだ。

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25、ボディ マインド スピリット

二つの大切なことの内一つは、『感情の決壊は、普段使えていない身体の場所を使うから効果があるのだ』ということ。
私自身が体験して得たことでもあり、正直に言えば、感情をあらわにすることにどこか照れくささを隠しきれない私が、身体に関連づけて導き出したこととも言える。

もう一つの大切なことは、『これが正解なのだろうか』ということ。
世の中には、すぐ泣く人はたくさんいる。
カタルシスの涙が問題を解決してくれるなら、これほど便利なものはない。
私は、そういう質の涙の一方で、何も手放さずに、何も学ばずに生きてきた人をたくさん知っている。もちろん変わった人もいるが…
私自身、この問題で何度も絶望と諦観と希望の涙を流してきた。
何度もがっかりさせられた症状の変遷を振り返れば、この涙は正解なのか…と考えてしまうのも仕方がない。
どこまでも猜疑心の強い私だった。

ともあれ、この感情の決壊がどう現実に反映されるのか?
そして、『正解』というのは、『父の感情』という意味でも当たっているのだろうか?ということだ。
よしんば当たっていたとして、その感情を私がどうしたから、喉に違和感を生じたのか、そこらへんの今につながるプロセスがわからない。

『スリー イン ワン コンセプツ』は、『Body』と『Mind』と『Spirit』の3つを統合することから名付けられたと聞く。
ある種の感情を伴って傷となった体験が、脳や身体に記憶され、それが考え方のクセや行動パターンになり、無意識、無自覚のうちに繰り返してしまい現在の問題を生み出す。
声をBodyとすると、私のインナーチャイルド クロスはMind、父の感情というのはMindよりさらに深くSpiritにつながるものなのかもしれない。

正解であれ不正解であれ、このセッションが導火線となり、今までとは違う質の感情に突き動かされたのは事実だ。
そのことは素直に受け止め、残りのセッションを受けようと思った。

そして、これは、その時というより後になってから思ったことだが、私はのぞきたかったのかもしれない。
きっかけは発声障害で、そこから遡っていってたどり着いたところだけれども、もしかしたら、どこかで、どんな問題でもそこに行き着くことを薄々感じていたのかもしれない。
だから、一度はのぞいてみたかったのだ。
そして、のぞいたからには、無駄にしたくなかったのだと思う。
あれは何だったのか、その後の私がどうなったのか、確認せずにはいられないのだ。
だから、こうして20年近くの歳月を経て振り返っているのだ。

このあとのセッションでは、喉の違和感を『こわばる感じ』と言う言葉に置き換えて、その言葉に関係する出来事まで年齢を遡っていった。
つい数年前の出来事に行き着く。
もっと高い確率で合致する出来事があったという。
さらに遡る。
筋反射は、9歳の私が感じたこわばりと言っている。
すんなりと思い当たることに行き着く。

階下では、言い争う大人たちの声がする。
子供部屋の弟が泣き出しそうにしている。
大丈夫だと、弟を寝かしつけようとする私がいる。
切り取った写真のように私の脳裏に焼き付いているシーンだ。
そして、それから何十年も経って、母から聞いたことにその思い出は重なり、さらに鮮明な映像を映し出す。

その頃、離縁も考えた母は、私と弟にそのことを告げたという。
行っちゃイヤだと泣いて、自分も一緒に行くという弟。
その時私は、私はここの子だからここにいる。お母さん、行っていいよと言ったそう。
自分がいなければ、母は自由になれると感じたのだろうか?
筋反射では、それが『こわばる感じ』の背景にある出来事だと言っていた。

セッションでは、さらに9歳の私を追っていく。
学校から帰る途中、一人で畑仕事をしている母の姿を見つけると、なんだかせつなくて悲しい気持ちになる。
家族の問題は、自分も抱えなければならないと感じている自分。

その後、母は家に留まったが、来る日も来る日も愚痴を聞かされ続けた。
思春期を過ぎた頃には、愚痴が始まったら寄り付かないという術を心得たが、9歳の私が思ったことは、自分が早く自立して母を自由にしなくちゃいけないということだった。

このことだったのかと、お背後さまの言葉がストンと心に落ちてきた。
『あなたは、自分が何とかしなくてはいけないと思っている。
親の人生は親のもの、他人の人生は他人のもの。
わめこうが泣き叫ぼうが、あなたが背負う必要はない。
生き仏にでもなるつもりか?それはある意味不遜なことだ。
あなたはあなたの人生を生き、謳歌するために生まれてきたのだ』

まったく違うアプローチで交わった過去の出来事とそこから派生した感情。
『こわばる感じ』に結びつく事柄をリアルに思い出し体験し直したあと、ファシリテーターは、その元になっている感情を解放するべく誘導していった。



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24、受け渡される感情

残りの92パーセントの原因は、以前からあったものだ。
それは、父親の感情を受け継いでいるという。
『選択できないと感じている』『深い悲しみと罪悪感』
しかも、私の出産2時間前の父親の感情だという。

にわかには信じがたい予想をはるかに超えた過去だ。
そんな遠くから掘り起こして、今の私にどうたどり着くのだろう?
今こうして生きている私にとって意味のあることなんだろうか?
身体の問題に対して内省的な方向に向かわせ、潜在意識や感情に集約させることに戸惑いを感じた。
誰だって掘り起こせば、そういう感情があるはず。
むしろそのような感情に触れることなく、ポジティブな感情のまま人生を送ってこられた人など存在するのだろうか。
しかし、一番触れたくないところにいきなり斬り込まれたのは確かで、だからこそ戸惑いもしたのは事実だと思った。

ファシリテーターは、筋反射で得られたことに対して特に示唆的なことを言うわけでもなく、セッションは進んでいった。
ここ10年の間に、その感情がネックになった出来事が3つ出てきた。
いづれも、私にとって大切で必要なことなら繋がっていくはずと、私自身が選択をしないで、何ものかに先を委ねて通り過ぎてしまった出来事。
回復の機会は3回あったのに、みすみす逃してしまった出来事だという。

セッションでは、何年前の出来事かと、クールに数字で聞いていく。
筋反射で何年前という答えが出ると、不思議なことに、私の頭の中には、瞬時に該当すると思われる出来事が浮かび上がってくる。
間髪入れずにだ。
それらの出来事は、何かエポックメイキング的な出来事になり得たはずだと、自分でも薄々気づいていたのだろうか…

終わった時にはグッタリしていた。
セッション始まりの衝撃が大きく後半のことはあまりよく憶えていないが、立ち入ったことのないところに立ち入ってしまった…という気持ちが疲労感を募らせた。
見据えたい気持ちもあれば、その必要はあるのだろうかという気持ちも頭の一角に居座っている。

家に戻り、その日のセッションを振り返った。
噴き出しそうでいて留まろうとする何かが、喉元で足踏みしている。
私が知る限りでの父の歴史をぼんやり振り返った時、とどめていたものが一気に決壊した。
そして、今まで経験したことのない程激しい嗚咽が突き上げてきた。
これは私の感情なのだろうか?
父から手渡された感情なのだろうか?それとも私の想像なのだろうか?

ここで、私の出産2時間前までの父の歴史を綴るのは唐突すぎる。
本筋から外れない程度に補足すると、私から見た父は一言で言うと、家庭的ではない人。
夜早い時間に家に戻ることはなかったし、父の帰りを心待ちにした記憶はあまりない。むしろ居ない時の方が気詰まりを感じないでいられた。
かと言って、厳しく躾られたとか、愛された記憶がないとか、ほめられた記憶がないとか、そういうことでもない。
私にとっての家は、なにか重くて、単純に楽しいと言える場所ではなくて、そう感じる背景には、いつも家庭的ではない父がいた。

父は、十一人兄弟の下から二番目で、訳あって、両親のもとで暮らした期間はわずかで、兄夫婦や姉夫婦の下を転々とし、最終的には、一番上の姉夫婦の養子になった。
終戦後、養母とともに親戚の家に身を寄せ、養父の復員を待ったという。
旧制中学を卒業する時には、美術学校に進みたいという夢があったが、家の事情で叶わず、復員した養父の仕事を手伝ったり、地元で働いたという。
やがて、周囲の勧めで、養父の遠縁にあたる母と結婚するが、ちょうど、産休の代用教員として地元の小学校で働き始め、それを期に教員免許に必要な単位を取るべく通信教育で学んだと聞いた。

後日談になるが、数年前、古い書棚を整理した時に、その時のレポートが何冊も出てきた。
万年筆で書かれた几帳面な文字。糸で閉じられた紙は黄ばみ、ところどころ虫が喰っていた。
レトロな作りに驚き日付を見ると、私が誕生してまもない頃だった。
この頃、父は家族を養うという現実を必死で生きていたんだと思うと、切ない気持ちになった。

母づてに聞いた父の身の上の記憶を手繰り寄せると、父の感情の一端がわかる気がした。
親元で暮らせない寂しさ、夢に向かうことのできない無念さ、生活のために選んだ仕事。
私の出産に際して、父は何を思ったのだろう。
手放しで喜べたのかな。
そんな思いが頭の中を駆けめぐり、一気に決壊したのだった。

しかし、冷静な私もまた存在し、二つの大切なことに注目した。
一つは、泣いている時は声は詰まらないということ。
泣くという行為は、一種の浄化であり、そういう意味でも感情の解放は有効なのかなと思った。
が、同時に、嗚咽することによって『喉頭』という場所の位置が変化することに気づいたとき、また別の仮説が、私の頭に浮かんだ。
感情がほとばしるという場面で、無粋この上ないが、嗚咽することによって私の喉頭の位置はいつもよりずっと上に位置していた。だから楽に声が出るんだと気づいた。
調子を崩してからずっと使えていなかった位置だ。
涙と鼻水まみれの中で、私は、喉仏の下に人差し指を当て、上へ持ち上げるようにして声を出すと楽に出るということを発見した。
このことは、ずっと後に、外喉頭筋(喉頭を外側で引き上げたり引き下げたりする筋肉)の緊張のバランスを見てもらった時、肩甲舌骨筋が硬いと言われたことにも合致する。
この筋肉は、喉頭を下に下げる働きをする。その状態で固定されがちなので、嗚咽したり、指で上へ上げた時に、声が出しやすくなったのだ。

涙と鼻水まみれで、私は悟った。
感情の決壊は、普段使えていない身体の場所を使うから効果があるのだ。



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23、お背後さんにきいてみた

発声障害が出たことに関して、その当時の数年間にわたる心理的な背景については、前に触れたし、自分なりの分析もしてみた。
インナーチャイルドは、さらに時間的にも遡り、心の奥底の意識の及ばないところに存在するものかも知れない。
そしてさらにその奥には、今の自分につながる何があるのだろうか?
人は、幾重もの気づかない自分をまとっているのかもしれない。

そことつながるきっかけは、たくさんある。
仕事でも、人間関係でも、パートナーシップでも、一冊の本でも、そして病でも。
私の場合、こじらせてしまった原因不明の違和感で、そっちの方向へも導かれることになってしまった。
人は、人生の中で、幾度か記憶や肉体を離れたものに、ひかれる時がある。
クロス邂逅事件から程なく、やはり友人の紹介で、ある霊能者のもとを訪れた。

目に見えるものが全てではないという思いは、素直に私の中に存在しているので、自分の心に落ちてきさえすれば、静かに敬意を持って受け入れられる。
その人は、至って普通に私に対面し、話に耳を傾けてくれて、そして、これまた普通にお背後さまの言っていることを伝えてくれた。
細かいところは憶えていないが、私が陥っていることに言及し、それに対していくつかの心にしみる言葉があってホロッとした。
少し先を急ぐが、実は、この少しあと、『スリー イン ワン コンセプト』というセッションを数回受け、そこで無意識の私の内側から引き出された心理というのが、お背後さまで言われたものと全く同じであることに気がついて驚いた。
全く違うアプローチで、言われたことが全く同じだったのだ。
しかも、自分自身で思う自分とは、真反対の自分を指摘された。

お背後さまは、
あなたは、自分が何とかしなくてはいけないと思っている。
親の人生は親のもの、他人の人生は他人のもの。
わめこうが泣き叫ぼうが、あなたが背負う必要はない。
生き仏にでもなるつもりか?それはある意味不遜なことだ。
あなたはあなたの人生を生き、謳歌するために生まれてきたのだ。
と。

私は、誰かの人生をも背負うつもりなど毛頭なく、むしろ自分でしたいことをして生きてきた人種の成れの果てぐらいに思っていたから驚いた。
しかし、自分の人生を生きなさいという言葉にはホロッとした。
そして、あまり時をおかず受けた『スリー イン ワン コンセプト』では、さらにそのことをカッコつきで説明されるようなことが起こった。

『スリー イン ワン コンセプト』は、『ストレスを受けると筋力は低下する』という理論を応用して、筋反射で検証しながら問題の原因となっている感情を探り解放していくセラピーだ。
アメリカのカイロプラクティックのドクターが構築した『アプライド キネシオロジー(AK)』という治療体系が元になっている。

腕の三角筋の筋反射で問題に迫っていく。
片腕を前伸ばし、質問を投げかけたあとに、下に軽く圧をかける。
その質問に対してイエスであれば、腕はカチッと強く留まり、ノーであればユルっと下がる。
結構なスピードで質問を投げかけていく。
加える力はほんのわずかで、動きもほんの少しだが、熟練のファシリテーター(スリーインワンではセラピストをこう呼ぶ)には、反応がはっきりわかるらしい。

私は、3回ほどのセッションで、私自身が認識しているさらに奥の感情を見つけて解放するということを試みた。
これも、心に落ちてくるものがあれば受け入れるという、いつもの私のスタンスだ。

問題が明確に伝わり、内側からも明確な回答が届きやすいように、質問として口にする言葉をファシリテーターと一緒に考えた。
そして、『私は、1993年9月頃から、喉に違和感を感じて思うように声が出せない』という言葉を口にすることで、セッションは始まった。
ほんの数分、ファシリテーターがいくつかの質問をして筋反射のテストをすると、こう話した。

『この時期から始まったというのは思い込みだそうです。
この時期を原因とするのは8パーセント。
他の92パーセントの原因は、もうずっと前からあったことだそうです』

感情を扱うセラピーにしては、クールでドライすぎる数値化。
私は一瞬たじろいだ。
思い込みとはどういうことか?
私自身が、自分自身の闇をこじ開け、心理的な背景もあると受け入れたのは、思い込みだというのか…

ファシリテーターが言うには、脳は結構騙されやすくて、そうに違いないと思っているうちに、脳がそれを事実だと認識してしまうのだそう。そして、さらに強くそう思い込むのだそう。
何だ、じゃそうじゃないって思い込めばまたもどるのか。
簡単じゃん…と、私は一気に肩の力が抜けた。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。

原因の92パーセントは、それ以前からあったことだという。


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22、インナーチャイルド

友人からの提案に興味を抱いたのは、西洋医巡りに区切りをつけざるを得ない状況で、新しい試みでも行きつ戻りつを繰り返していた頃だ。

自分は気づいていないけれど、幼い頃の欠乏感や理不尽な思いや怒りを癒すことのないまま大人になり、傷ついた心を守ろうと、本来の自分からまずます離れた生き方をしてしまうことがある。そんな幼い頃の傷ついた自分『インナーチャイルド』、内なる自分に気づいてあげることが、今の自分をも癒すことにつながる。
そんな話を聞いた。

メンタル的なことに関しては、自分の表現を模索する中で、極端に偏った声の使い方をした背景に心理的な縛りがあったと、心の中に落ちてくる出来事があった。
過去の自分を否定することで、前に進もうとした自分をもう十分分析することができている。
そう思っていた。
さらに過去と向き合う?

私自身は、過去を掘り起こすこと自体、あまりクールではないと感じるタイプ。
もういいから、次!次行こうよ!そういうタイプだと思っている。
ならば、そんな私が、自分の中には、癒されず閉じ込めてきたものがある。そんな前提で自分の心を覗いてみることは、逆転の発想で何か新しい発見があるかもしれない。
そんな気がした。

ふと浮かんだのが、症状がひどくコントロールがきかず、何かに乗っ取られていると感じた時に、思わず口をついて出てきた言葉、『グレてやる!』
誰に向かって言っているのだろう?
もちろん、自分に向かって自分が放った言葉なのだが、そういう言葉を吐くこと自体、自分の中の誰かを意識したのかもしれないと思った。

存在するかもしれないインナーチャイルドを意識した途端、その子はアッサリ登場した。
と言っても、体験記のように劇的なものではない。
『とりあえず、居るんだったら名前教えなさいよ』そう疑い深く心の中でつぶやいたのち、ある朝目が覚めたら、あれ?なんか大切な夢見たような気がする…
えと、ビートルズ?アクロス ザ ユニバース…が、ヒントだよ…そう言われたかすかな記憶が…
あくろすのくろす…クロス…クロス?
『そうクロスだよ』
と、その子は答えた。
と言っても映像があるわけでも声が聞こえたわけでもなんでもない。
なんか大切な夢みたような…から始まって、記憶の尻尾を掴んだ瞬間、まるで私の脳内に閃光が走ったように、『クロス=私のインナーチャイルド』が落ちてきた。

事が進展したらなら話は早い。と思った。
あわよくば、この病名もつかず奇妙な状態の症状を、クロスが暴れているとして、その理由に耳を傾けて、一刻も早く折り合いをつけたい。
そんな私の気持ちを見透かしたのように、名前は教えてくれたがそれ以降肝心なことは語ってくれない。
時々暴れては、時々ご機嫌になる。
『ちょっと、あんたでしょ?なんか言いなさいよ』と悪態ついてみても、時々暴れては時々ご機嫌のスタンスは変わらない。
でも、ふと気づくと、ご機嫌の時は私自身も晴れ晴れと楽しい気分を味わっていることに気づいた。まだまだとOKを出せなかった自分から、よかったねと言える自分。
そして、一緒に喜ぶ相手はクロスだ。

暴れている時は、深追いして自分を罰しなくなったと感じた。
『ったくしょうがないね』
『大変だけど続けていくよ』
以前の理不尽な思いを伴う怒りの質が少し変わった。
そういうこと自体が自分の一部なんだろうなと。
せつなさを伴ってそう感じた。

インナーチャイルド邂逅事件は、結局はよくわからない。
時空を超えて旅するような、価値観が変わるような、それで私の人生はこんなに変わりました的な劇的なことは起こらなかった。
しかし、自分の中の誰かを感じることで、自分と親和性のある誰かの仕業と感じることで、自分に起こった出来事を忌み嫌うことなく少し客観的に観ることができて、そして以前より受け入れられたと思う。

正直に言うと、病に関して、メンタル的なことやスピリチュアル的なところに、まず原因を求めることは、あまり好きではない。
それは人から押し付けられることではなくて、病に向き合う中で、自分で扉を開けて自分で意味を見出すことだ。
それでも変化することもあれば、変わらないこともある。

病が重いほど、長引くほど、原因がわからないほど、患者は自分を責める。
病は、さっさと治すに越したことはない。
治療法が確立されているなら、迷うことなく受け、一刻も早く平常の生活に戻り、病に費やすエネルギーを本来の人生の営みに費やしたい。
それが、平和な人生を送るためのストレートな道筋だ。

それを許してくれないのは何なのだろう?
時々、私はホントはグルグルしているのが心底好きで、実は自分でこの状況を選んでいるのではないかと絶望的になる時がある。
私のインナーチャイルド邂逅事件は、ほんのプロローグと言わんばかりに次の展開が待っていた。



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21、私の中の誰か

患者さんから、ジストニア(傾性斜頚)の方の体験記(電子図書)をご紹介いただいた。
『ジストニア国探検記』大友鳥餅著
ご紹介くださった患者さんもジストニア(咬筋)で、治療に通ってくださっている方だ。

テーマにふれる前に、『ジストニア』について簡単に説明すると、
自分の意思に反して、筋肉が収縮し、ねじれるように動いたり、硬直、痙攣といった症状が、全身あるいは身体の一部に出る難治性の疾患の総称。
症状が首に出るのが『傾性斜頚』、発声の筋肉に出るのが『けいれん性発声障害』で、共に局所性ジストニアの一種。
脳や神経系の障害によるものと言われている。
原因不明の特発性ジストニア(一次性)と、他の疾患やケガが原因で起こる症候性ジストニア(二次性)がある。
本の著者も治療室にいらっしゃ患者さんもすべて一次性。

体験記では、自分の意に反して首を動かすものを『ドミンゴス』と命名し、その症状が出ることを『ジストニア国』にいると表現。
発症から症状の推移、それに伴って変わらざるを得ないプライベートの生活、仕事などにまつわることが、軽快な語り口を想像させる文章で綴られていた。
しかし、内容は決して楽しいものではない。

首が勝手に右を向くという奇妙な現象が、徐々に日常生活を脅かしていく。
医療機関を訪ねるにも、何科を受診したらよいのか戸惑い、訪れた医療機関でのぞんざいな扱いに苛立ち、やっとたどり着いた専門医で『ジストニア』と診断され納得するものの、原因不明、治療法も確立されていないことに愕然。
その後も、職場での病に対する認識のなさにやるせない思いを抱き、自宅療養、退職、引越し…と自身を取り巻く環境は、症状の変化とともに変わっていく。

その間、『ドミンゴス』と名づけた自分の症状をつぶさに観察、どうしたら症状が軽減するのか、自分の身体で試したこと、医療機関のみならず、民間療法からパワースポット巡りまで、さまざまな体験が綴られていた。
読み進めていくうちに、私自身との共通点をいくつも見つけて、思わず大きく頷いたり、胸の内が想像できてしんみりしてしまったり。
明るい語り口の影に、どれほど苦難があったのか。

とりわけ、『ジストニア国』、『ドミンゴス』という表現には、筆者の複雑な思いが込められている気がした。
自分の身に起こったことではあるが、自分ではないような感覚。
私も、症状がひどい時は、自分自身が何かに乗っ取られた気がした。
受け入れらずに、しかし否定もできない現実。
ならば、いっそ自分に近いところにいる何者かの仕業として観察してやろう。
そうでもしないとやっていられない。
そんな心境だったに違いない。

私もそうだった。
私の中の誰かは、『クロス』と名乗った。
そして、無風状態で立ち尽くす状況に、少しだけ楽観的な風穴をあけてくれた。