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4、動機-2

この問題にこだわり始めてから20年という歳月が流れた2013年6月、私にとって一つの区切をつける出来事があった。
『けいれん性発声障害』を知るきっかけになった本の著者、京都の一色信彦医師の診察を受けたのだ。
そのいきさつにはいろいろあるのだが、アナウンサーの後輩で、当時一色医師のもとで音声訓練の指導をしていた轟美穂さんが、きっかけを作ってくれた。
轟美穂さんは、同業者としてボイストレーニングや呼吸法、さまざなまボディーワークなど一緒に探求してきた仲間であり、私の発声障害に関しても常に近くで見守っていてくれた友人の一人だ。
以前一度、一色医師の話を伺う機会があったが、診察を受けるのは初めてだ。
ここ2、3年はさらに状態にも変化があり、はじめの頃の症状はほぼ消失している。
しかし今だに自身で感じる違和感はあり、今まで数多くの患者をみてきた専門医が、どう診断するのか、またどんなところに注目して発声障害をみているのか、治療者としても興味があった。

数種のテストと喉頭所見の結果、今の私は『けいれん性発声障害』とは程遠い状態であるとのことだった。
極めて正常な状態らしい。
しかし、喉頭所見や音声には現れないが、患者本人が感じる明確な違和感について、過去の症例をもとに、発声障害についての先生ご自身の考えなどをお話くださった。
さらに声とメンタルとの関係などご自身の体験を交えながらのお話には、私が今まで西洋医学のドクターに対して抱いてきた印象とは違うものを感じた。
このことは、後ほど、西洋医学と代替医療との違いや治療観についてのところで、再度触れたいと思う。

さらに一色先生は、
『はじめのけいれん性発声障害のような症状から今日まで、何を試してどう変わってきたのか、詳しく書いてごらんなさい。あなたしかわからないことが知りたいんですよね』
とおっしゃった。

帰りの新幹線の中で、私はその言葉をかみしめていた。
あれから20年も経って、自分の状態も変化した今、今さら書いても医学的な意味は何もないと感じていた。
その一方で、何かしらの発声障害を克服して、自分なりの治療の考え方や表現者としての声への向き合い方など、積み上げてきたものも確かにあると思っている。
実際に、そのことがベースになり、今現在患者さんに向き合い、また表現者としても活動している。
あ、そうだった…と思った。
私は、自分の問題がきっかけで治療の世界に足を踏み入れたのだった。
まず一番に自分の問題を何とかしたくて治療の勉強を始めた、この上なく自分本位な治療者だった。
もちろん、今はどんな訴えの患者さんに対しても必死に症状改善のために努力はしている。しかし、問題部位の変化や映像所見、検査数値を大切にする西洋医学に対して、それらに現れなくても患者さんの違和感に寄り添うという基本的な姿勢は、自分の問題から学んできた。
ならば、私自身に起こったことを振り返り、体験から得たことをまとめることは、最も私らしい方法だと思った。
自分をたった一人の症例に取り組んできたものが、何を今さら医学的な根拠とか価値とか気にしているのだろうか。
振り返ることで、私自身がこれから私の患者さんに対して有効なことを一つでも発見できればそれでいい。
なるほどと思ってくれる人が一人でもいれば、なおいい。

こうして私は、過去の扉を開くことにした。