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50、音声訓練、余計な神経回路

前回は、音声訓練の基本として、長音を安定して出せる方向に持っていくこと。
そして喉頭の動きをつけて音の高低を広げていくことに関して書いた。
これができないからこそのけいれん性発声障害であり、何しろ声にした途端に詰まるのだから、できない自分に向き合う音声訓練は相当のストレスを伴う。
それをおしてまで続けるのがいいのかは、正直わからない。
私が音声訓練を受けたのは、良い状態の時もかなり出てきてからで、発症してからもう15年ぐらい経ってからだ。
以前も書いたが、症状のひどい時はまともに声を出せない自分に向き合うことができなくて、どうしても正面きって声を出す勇気がなかった。
ある程度のところまでどうやって回復したのかというと、以前書いたようにがむしゃらにいろいろな治療やワークを受け、いくつか自分に合っていると感じたことを続けてきた。
それである程度まで回復し、しかも音声訓練でさらに安定した状態にもって行けたことで、私の中に自分でほぼコントロールできる感覚ができた。
しかしそんな風にして回復できたことが、実は私はけいれん性発声障害ではなかったという証明の可能性を含んでいるらしい。
どうやらけいれん性発声障害というのは、そういった治療や訓練では到底成果が見込めないほど手ごわい病というのが医学的な認識らしいのだ。

自分の発声障害をベースに、症状や出方、推移、受けた治療や音声訓練になどについて書いてきたが、時々、どういう発声障害か診断名がついていないままの考察は、結局なんの意味もないのではないかと虚しさを感じることもある。
診断を受けて治療を模索している患者さんは、やはり同じ病の患者さんの体験を知りたいのだから。
しかし、発声障害自体、さまざまな人が存在する。
代替医療や音声訓練では1ミリも変化しない人もいれば、変化する人もいる。
けいれん性発声障害も、鑑別に関しては個々のドクターの診たてに任せられていて、共通鑑別法や診断法は確立されていないと聞く。
私がこの二十数年コツコツ観察してきた中で思うことは、診断名はさておいて、私の状態に限りなく近い発声障害ならば、代替医療や音声訓練で十分コントロールできる可能性があるということだ。
発声障害がすべて代替医療や音声訓練で治るとは勿論言えないが、自分の体験と患者さんを診てきた経験から、こういう発声障害であればコントロールできるというガイドラインが示せればと思う。
その一つが、この私自身の体験の記録だと思っている。
だからこそ、治療や音声訓練の内容については詳しく触れていきたい。
そして、西洋医学とは別の視点で、対応可能な発声障害の鑑別法の手がかりも見つけられればいいと思っている。

具体的な音声訓練的な話に戻るが、発症2年後ぐらいから5,6年間、呼吸法を中心にしたボイストレーニングを受けていた。
発症後15年程してから受けた音声訓練とは違い、発声はザッと音階をなぞっていくもので、繊細に状態を観察しながらのものではなかった。
私がもう少し自分に向き合う勇気があれば、できない自分をさらけ出して先生に食らいついて行ければ、もっと早くに何かを得られたかもしれない。そんな後悔の気持ちが、効果的な音声訓練を見つけたいという気持ちの原動力になっている。
それでも違和感がありながらも声を出すことは、喉頭周りの筋肉を衰えさせなかったという点で、やはり良かったと思う。

呼吸法は、それほどストレスなく続けられた記憶がある。
時々、呼吸の段階でも、吐くときにガ、ガ、ガ、ガッっとブレーキがかかる時があった。
多分一番ひどい状態の時だ。
そんな時は、音にすると悲惨なほど詰まったし震えた。
しかし、記憶をたどると、呼吸法中心のボイストレーニングでは、レッスン中ずっとひどくストレスにさらされたままだったという記憶はあまりないので、当時から私の詰まりや震えは、ずっと出っぱなしのものではなく、トレーニングしているうちにある程度コントロールできるものだったのかもしれない。
コントロールという観点で言えば、そう言えば、いつも決壊しないように頑張っていたという感覚がある。その感覚がなんとも不自由で苦痛だった。
明らかに症状が出るというのはもちろんストレスだが、日常生活では、この常に張りつめてコントロールしているという感覚が、何でもなかった時の自分とは明らかに違うことだった。

その後、ある時期から呼吸に関しては問題なく深くできるようになったが、声にした途端、ガッ、ガッ、ガッ!とブレーキがかかったり、細かく震えが出たりすることはずっと続いたし今でもそうだ。
前回も書いたが、特にけいれん性発声障害の患者さんは、呼吸は大丈夫なのに吐く息に少しでも声が混じると途端に詰まってしまう。
たったこれっぽっちのことで、なんでできないのだろうとホントに腹が立ち悔しい気持ちになる。
呼吸を司る神経と発声を司る神経は異なり、発声を司る脳と神経系統の伝達に問題のある病気だから、声にした途端詰まるのだ。
吐く息にほんの少し声がまじるというごく自然な身体の働きの延長上のことなのに、生理学的な観点からみると、呼吸と発声の命令系統には大きな違いがあるということだ。
そして声にした途端詰まるという、まさに障害の律儀すぎる緻密な指示系統に驚かされる。そんなに頑なにならずに、少しはしてほしいことを察して融通を利かせてほしい。
このような特徴から、呼吸の呼気に乗じて、なるべく声帯をキツく閉じないままで声を出そうというのが、定番の溜息から始めるという発声の目的だと思う。

しかし、前述したように、声にした途端詰まってしまうし、そもそもけいれん性発声障害の患者さんは、声にするコンマ何秒か前の一瞬で、さぁこれから声を出すぞというふうに構えてしまう習性ができているような気がする。
多分、不自由な発声をなんとかしようともがいていうるうちに、声を出すということ自体が、詰まる、震えるとイコールの回路ができてしまって、一瞬の間に、その回路を選んでしまうようになってしまったのではないだろうか。
当たり前にできていたことができなくなって、それを取り戻すために分解したり組み立てたりしているうちに、余計な神経回路を一個作ってしまったのではないだろうか。

私は、ナレーションの仕事で、反対語や似た言葉が出てくると、読み違いする確率がぐんと増える。
右と左、上と下、縦と横、東と西、論理と理論、記述と記載、認証と承認...など。
読み違いが結構多いので、どうしてだろうと考えてみるに、その言葉を声にする前のコンマ何秒かの間に、頭の中で、万全を期してかどうかはわからないが、読み違えの可能性のある言葉をわざわざ一度引き出して、『これは違うからね』という確認作業をしているのではないかと思う。
で、確認作業中の神経回路が混線している一瞬の間に、よりによって違う方を選んでしまうという残念な結果。
けいれん性発声障害の、声を発すること自体がイコール詰まる、震えるという回路ができてしまったのではということも、根本では似ているのではないだろうか。
真面目に向き合えば向き合うほど、慎重になればなるほど、悪い状態を分析すればするほど、これはNGグループだからねという余計な神経回路が一個できて、それがかえって邪魔している気がする。
職業性のジストニアは、もしかしたら思考も身体の部位の使い方も、専門的な分野ゆえに探求せざるを得ない職業的な性が、余計な回路を作ってしまったのではないだろうか。
また、けいれん性発声障害は、先進国に多く見られる病であるということも、真面目な性格の方が多いということも、真面目に向き合えば向き合うほど、慎重になればなるほど、悪い状態を分析すればするほど、余計な神経回路が一個できてしまうのではないかという仮説に符合する気がする。

本来の発声を取り戻すイメージは、単純な神経回路を作ること。
ため息より自然な状態で、目指すは、まるで騙されたまま吐く息から声に移行する回路を作りたい。
次回は、今度こそ具体的な音声訓練について。