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46、ストレスに強い身体

前回は、身体のわけありラインというつながりを通して問題の個所を診ていきたいということを書いた。

ボスと思われる場所、つまり問題の源流を解放するということに関して、つくづく不思議だなぁと思うことがある。
ボスが巣食う場所は、たとえば全身のマッサージやストレッチですでに解放された場所だったり、また治療の途中で何となくここが怪しいと、既に偶然に触れていた場所だったりする。
しかし、偶然や勘でボスに触れるより、具体的にわけありラインを辿りボスに行きついた方が、効果は大だ。
偶然や勘の場合は、あちこちに痛みや違和感が残るが、一度つながりを確認して治療した場合は、つながりの箇所が確実に変化しているのだ。
そのライン読みに成功した時は、『よくできましたね!』と褒められているようだし、ダメだったときは『甘い!出直していらっしゃい』という声が聞こえるような気になる。
こんなことに出くわすたびに、やはり身体は何かわかってほしいこと発しているんだなぁと思う。

一方で、患者側からすれば、一方的な思い込みやバイアスがかかった見方をされ辛い思いをすることもある。
私は、発声に違和感が出た始めの頃、『あなたは自分の言葉で喋る仕事じゃないからそうなのよ』とよく言われた。
他人が書いた原稿を自分の意志とは関係なしに声にする仕事だから、自分を表現したいと思う気持ちが押さえつけられ、身体がストレスを感じて喋れなくなったのだということだ。
何か自分を抑えつけているストレスがそうさせているのではないの?
もちろん悪気はない。素直な感想で、むしろ同情の言葉だ。
しかし、そういう障害を抱えたことで、患者は既に少なからず自分を責めているのに、良かれと思って声かけるこの一言で、余計傷つくことがある。
まるで、あなた自身の生き方がだめなのよと言われたみたいで。

もちろん、そういう心当たりのある人もいるだろうし、それをさておいては、発声障害どころか元気な将来が見えないというぐらいストレスフルな状態の人もいるだろう。
しかし多くの患者にとっては、いわれのない仕打ちでしかなく、『なぜ私が?』という言葉が頭の中をグルグルしている。グルグルし疲れた末、後づけて理由は湧いてくる。それしか自分を納得させるすべがないからだ。そこに追い打ちかける言葉は、薬にはならない。

病や困難にあった時、現実を受け入れるということと過剰に内省的になるということは違うと思う。
どうせなら、自分を元気にさせてくれるものを拾って前向きに生きていきたい。


自覚する痛みや違和感がなくても、身体は正直な答えを示してくれる。
まさにストレスと関係のあることなのだが、『今日は何時に起きました?』とか『お昼、何食べました?』などと聞きながら筋力チェックをして、『で、部長とは話したんですか?』と、間に嫌いな上司の話題を挟むと、今までピシッと入っていた筋力が途端に弱まる。
筋肉は、ストレスを受けると弱くなるのだ。
種あかしをすると患者さんは驚くが、こちらも毎回驚く。
このチェックをした時ほど、身体は正直だなぁと感じることはない。

この程度のことでもグッと筋力が落ちるなら、ストレスがあると自覚して向き合う時には、どれほど大量のストレス物質が生産されているのだろうか。
思い出すだに恐ろしいことだが、幾度となく経験した何かに乗っ取られたように喋れなくなる時、もがけばもがくほど詰まったり震えがひどくなってパニックに陥っていく感覚、あの時が、まさにカクンと筋力が落ちた瞬間だったに違いない。
しかし、障害を抱えていても四六時中弱気なわけではない。気弱な時につけこまれ、二次的、三次的に深みにはまっていくことは避けたい。

ストレスというと、多くの人が、嫌な出来事やそれが元になった心理的ストレスを想像するだろう。心と身体は切り離せないが、だからと言って馬鹿正直に気持ちに向き合い、それこそストレスの元を深掘りしても、かえって収集つかなくなることもある。
ここは、筋力が示してくれる反応を元に、ストレスに強い身体にチューニングし、『だから何なのよ。私は私よ!』と蹴散らしたい。

AKには、『スイッチング』という考え方があって、神経系の乱れによって身体の正常な状態に狂いが出ることがあるとしている。東洋医学でも気の流れが逆になるという『気逆』という言葉がある。ここではおのおのの詳しい病態などは省略するが、どちらも、本来あるべき方向のエネルギーの流れが逆になったり、容量オーバーになったり逆にストップしたりということが起こって混乱することがベースにあると言っている。
エネルギーという言葉が曖昧だと感じる時は、神経回路や神経伝達物質という言葉に置き換えると、身体の中で起こっていることとしてイメージしやすくなるのではないだろうか。
その乱れがあることと正常に戻ったことを、心理的なストレスを掘り起こすことなく筋力でチェックするのだ。

ここまで書き進めて、100%患者さんの気持ちになって読み返してみた。
どんなことをするんだろう?それをすると声も詰まらなくなるのか?震えなくなるのか?と、半信半疑ながら期待をしてしまう。

私の体験してきたことを先に書いてしまうと、ひどい発作の時は、何をしてもダメだという感情だけが残っていて、実際何をしたのか覚えていない。
パニックの最中は、なすすべなくただただ起きてしまっている出来事に翻弄されている。
どんな姿勢でどんな呼吸していたかさえ覚えていない。とにかく必死で、スイッチング解除などする余裕が全くないということだ。

エクササイズ的なことと並行しながら、緊急じゃない時に解除をすることをして、仕事場に行って仕事して帰るまで、同じフラットな気持ちでいられるように努め、どんなことがきっかけでフラットが波打っていくのが観察した。
即効というわけにはいかなかったが、ずっとそのままの状態でいることはない、必ず戻ってくるという確信が持てるようになったし、事実、症状と恐怖感に襲われても、平常に戻る時間が確実に早くなった。

私の23年の病歴の中で、4年前に一度大きな発作的な症状がぶり返して、一年以上症状がぶり返すことが続いたことがあった。気持ち的には、一度大きく後退した感じだったが、事実を冷静に評価してみると、確かに仕事(ナレーションの仕事)に行くたびに症状が出て辛かったが、大体数分もすれば落ち着いて、症状が居座る時間はほんとにわずかになった。症状が消えてからは、不安や恐怖神が以前より数段軽減したと言える。

どうしても即効を期待してしまうが、太い神経回路が出来ていれば、なかなか正常な流れに定着しにくいだろうし、正常な流れになったように見えて、きっかけがあれば一気にもどることがあるのかもしれない。

私の場合は、純粋な発声障害の症状よりも、出る以前の不安感、出たらどうしよう、仕事で迷惑かけたらどうしよう、出た時を想像した時の恐怖感がモンスターのように大きくなっていた気がする。
純粋なけいれん性発声障害は心理的ストレスとは関係なく出現すると言われているし、後発の二次的な不安感や恐怖心とは、回路の種類が違うのかもしれない。
となると、けいれん性発声障害をコントロールするのは簡単ではないということになる。
しかし、ほとんどセットで存在していることを考えると、身体のつながりで一掃できる可能性もある。事実、私の場合は、不安がなければ症状もないし、症状が出なければ不安もない。
これからも患者さんの協力を借りて経過を見守っていきたい。

スイッチング解除の方法は次回に。