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44、本治で整いました

ある場所がこわばるには、それなりの理由がある。と、前回書いた。
深層筋が働かないと外側の筋肉が働かざるを得ない。
拮抗して働く筋肉の一方がこわばったままだと、一方の筋肉は伸ばされたままになる。
共同して働く筋肉のうちどれか一つがサボれば、他の筋肉がその分頑張ることになる。
筋肉だけではない。脳の一部がやられると違う部分が補おうとするというし、血管もあるルートが絶たれると違うルートができてくる。
まるで、どこぞの組織のようだが、身体はこのようにして機能していこうとする。生を紡いでいく力はほんとに偉大でよくできている。

けいれん性発声障害の攣縮も、始まりは何か理にかなった理由があるのではないかと、ほとほと戦うことに疲れた頃に思った。
普通の患者で、原因もどんな病気かもわからなかった頃は、闇雲にドクターショッピングを繰り返し、無作為に色々な治療を試みたが、身体のことを学ぶようになると、治療法には、ベースになっている考え方があることがわかってきた。
その中でも、『詰まる、震えるは悪者』ではなく『そうならざるを得ない身体の事情』という発想は、何となくホッとするカンジがあった。
戦い疲れた身には、『そんなに自分を責めなくてもいいから…』そう言ってもらえたような気がしたのかもしれない。

しかし、そういう治療法の根幹にある『身体のバランスをとる』や『治癒力を後押しする』的な考え方は、大義には同意できるが、具体的にどうなるといい状態になったのか、いまひとつよくわからない。
私にピッタリ来たのは、患者と治療者が同時に変化が共有できる評価の方法として、筋力テストを取り入れている治療法だ。
これは、あれこれ治療を受けつつ治療の勉強をしていた頃、私には効果があると感じた治療法で、結局その治療院で7年ほど修行することになった。
治療法は、AK(アプライドキネシオロジー)というもので、偶然というか縁があるというか、それよりずいぶん前に受けた『スリー イン ワン コンセプツ』という、どちらかというと心理アプローチのワークの元にもなっているものだ。
ここでも、そのワークを受けたときのことが、#23から#26あたりに出てくる。

AKは、膨大な種類の診断、治療があり、ここで概略を説明することは難しいが、特徴としては、多くの治療法が、骨格系、脊椎、筋肉系など、何か一つを身体を診る手掛かりとしているのに対し、AKは、さらに血管系、リンパ系、脳脊髄液、経絡などいくつかのチャンネルを網羅していることだ。
そして検査、評価の方法は筋力テストで、患者も変化を確認することができる。

私がその治療院を訪れたのは、発声の時の違和感は慢性期で、突発的な発作のような不安は抱えているものの、軽度の詰まりは自分で気にするほど表には現れていない時期だった。
問診で声のことは話したが、特にその症状に焦点を当てた治療をお願いしたわけではなく、主訴としては、日常生活で感じる胃の不快感であったり、ひどい肩こりと軽い腰痛だったりした記憶がある。
自分で認識のある圧痛の場所の確認と、頭蓋、脊中、骨盤周りで自分では気付かなかった違和感や圧痛のチェック、いくつかの筋肉の筋力テストを受けた。
治療が終了した時点でチェックすると、ある時は、横隔膜の筋力低下を是正し、下垂気味の胃をリフトすることで、肩こりの痛み、背中、腰の圧痛がなくなり大腰筋の筋力低下がなくなった。
またある時は、頭蓋のある場所のリリースで、首の凝りがなくなり、ゆるゆるだった腸骨筋の筋力が戻り、仙骨上の違和感もなくなった。
治療自体は、特定の場所にある変化が出るまで触れ続けたり、その場所が解放されるように、部位をわずかにある方向へひねったり角度をつけた状態で保持するだけだが、その一か所だけへのアプローチで、散在していた圧痛や不快感が芋づる式に解消されていった。
最終の筋力チェックでは、たとえば大腰筋であれば、自分で足を持ち上げた瞬間に、身体の芯からピシッと伸びて自分でしっかり保持できている感覚がある。
当然筋力テストでも、筋力もきちんと入っている。
自分の中の確信と筋力テストでの客観的な評価が相まって、治療後は自分の中に力がみなぎってくるのを感じた。
ふと気づくと、声の違和感に関してもすっかり忘れている時間が長くなっていることに気づいた。
特に喉周りに注目して特別な何かをしなくても、その人の身体の変調をつぶさにみていけば、そのつながりで発声の違和感も自然に解消できるのではないだろうか。
それまで、ずっとその部位に集中して注目し疲弊していた私にとって、『その部位の問題は、どこか(何か)の代償かもしれない』『身体のバランスをとる』や『治癒力を後押しする』という考え方は、何かホッとするものを運んできてくれた。

しかし、これですべてがいい方向へと転換したわけではない。
やはり喉頭周りへのアプローチは必要、でもそれだけでもダメなのでは、の行きつ戻りつが続いた。
特に鍼灸の世界では、問題の大もとや治癒力を高めるための全体治療を『本治』といい、問題の部位に直接働きかける治療を『表治』という。
その本治と表治を行き来した。
あまりに遠くて問題に届いていないじゃないか!小手先で何かしようとしてもダメなんだ!と独り言を言ったり、少し俯瞰で全体を見渡してみたり、その場所に近寄ってみたり…
私の場合は、どちらかで一気に変化を起こしたわけではない。『本治』と『表治』の両輪を回すことで、徐々に変化してきたと思う。そして一頃がウソのように声が出せるようになったことは事実だ。
その一方で、いつ起こるかもしれない発作的な症状への不安と、日常的にもかすかに残る違和感の芽があることもまた書き添えておくべき事実だ。

発声障害に関しては、私自身のことでもあり患者さんの気持ちも分かる分こだわりはあるが、基本的には、つながって機能する身体の一部の問題ととらえているので、本治に関しては定型のものはない。
発声障害の患者さんでも、病歴や同時に出ている他の症状を聴き、それらが軽減されるような治療をする。
過去のケガが原因で首や肩が痛む方もいらっしゃれば、噛みしめがひどく顎関節症の方、喘息の症状が出る方も、お腹を下しやすい方、ひどい冷え症の方もいらっしゃる。
発声障害以前のケガや病があれば、その後遺症があるかどうかは大切な要素になってくる。
それらを少しづつ取り除くことをする。この地味な作業が、その患者さんの治癒力を発動する力になり、結果、発声障害にもいい影響をもたらす。

表治に関しては、専門的な知識や取り組みが必要になり、喉頭の動きをつけたり、部位の筋力のバランスをとったり、神経の促通や部位の血行を促したり、音声訓練的なことも行う。
こちらも私にとっては興味深い様々な発見があった。
また別の機会にその内容を詳しく説明したい。
本治と表治は一連の治療だと思っているし、治療者は病に関して勉強するのはあたりまえなので、これからもコツコツやっていくつもりだ。

こんなことを書き連ねつつ、特にけいれん性発声障害の患者さんは、もっと劇的に変化する方法が知りたいんだろうなと思う。
私自身がそういうことを求めていろいろなところを渡り歩いたから、気持ちはよくわかる。
しかし私自身の経験から言えば、『前進したり後退したりしながら徐々に変化してきた』だ。
それでも、その時々で新鮮な発見がいくつもあった。その結果が今の自分だと思っている。課題も野望もまだあるが、そこそこ進化してきたなぁと思っている。
ならば、その発見や気づきを鼓舞することなく自分の言葉で耽耽と綴ることが、私らしくあることかなと思い、こうして続けている。
劇的な変化じゃなくてごめんなさい。それでも変わったよ!

次回は、今回触れられなかった器官系のつながりについて具体的に触れたいと思う。