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35、自分で治す

時系列がいろいろ乱れているので整理してみると、登場したワークやそのあとの通った学校など、体験した順番は…
クラニオ→ロルフィング系→スリーインワン1→お背後さん→スリーインワン2、3→アレクサンダー→センサリーアウェアネス1→療術の学校→ロルフィング→鍼灸学校→センサリーアウェアネス2
ということになるのか。

クラニオは、体験した直後からセミナーで継続的に学んできた。
上記の他にも、数種類のボディワーク、心理学系のワークや呼吸法を中心にしたボイストレーニング、そして治療の勉強を始めてからは、ほとんどの治療家を目指す人がそうであるように幾つかの学術団体で複数の治療法を学んできた。

はじめは、西洋医巡りで喉頭まわりを診てもらっても、私が訴えるような症状を引き起こす要素は見られず、増悪する症状に不安が募り代替療法や民間療法、心身統合系のワークを手当たり次第に体験した。
そして、その一連の体験を済ませたあとに、鍼灸という比較的認知度の高いオーソドックスな治療法を学んだことになる。

上記の大体の流れの中で、自身で感じる違和感はあるものの、低空飛行ながら安定してきたのが療術の学校に通い始めてからだ。
そして鍼灸学校の頃には、現場で発作的なものに見舞われることがあっても十数分で回復し、ずっと乗っ取られっぱなしでいることはなくなった。
もちろん、常に不安にはさらされる。しかし、そこを突き抜ければ必ず青空が広がっていると、徐々に確信できるようになっていった。
そうなるまでに20年近くかかったことになる。
ほぼ寛解と思えるようになったのは、ほんの3、4年前だ。

振り返ると、療術の学校の頃が一つの転換点だったわけだから、誰かに治してもらおう、この悲惨な状況をなんとかしてもらおうと思っていたところから、自分でなんとかするしかないと腹をくくったのが、良い方向へ転じるきっかけだったと分析せざるを得ない。
クラニオで、身体と記憶の不思議な体験をしてから3、4年経っている。
自分の問題解消のきっかけになるのかどうか、全く予想も見当もつかなかったが、とりあえず身体について学ぶことが、その時の自分には必要な気がした。
その決意が揺るがないうちに、決心したことに身を投じて逃げ場がないようにしてしまう。
そういう選択は、割と私の人生の常套手段だった。と後で振り返り思った。
とりあえず、家賃半分のマンションに引っ越して、入学金と授業料を握りしめ、療術の学校で学ぶことにした。

あえてエッジに立つくせして、往生際はあまりよくない。
入学手続きをして帰る途中、夜空の星を見上げながら、漠とした世界に入り込んでしまったことが不安でしょうがなかった。

私はどこへ向かおうとしているのか。
この行動は、自身の問題に向き合っているのだろうか、それとも逃げているのだろうか。
どうすることが向き合うで、どうすることが逃げるなのか。
その問いは、発症から20年経った今でも、時々胸に去来する。