この記事のみを表示する34、毒づくもの

34、毒づくもの

『よほど不安で、ジタバタしているんだよね。
あなたが、私の中心は傷つかないとか、穏やかで平和な感覚とか言えば言うほど、イタイよ。
20年も同じことに縛られて、バカじゃないの?』
もうひとりの私が毒づく。
言わずとも、よく冷たい視線を投げかける。
よくあることなので、正面からは取りあわずにスルーする。

現実を生きることは確かに大変なことだ。
気づきや平和な感覚だけでは食べていけない。商売にはならない。
事実、私の発声障害だって、気づきや決して傷つかない自分を確認したところで、好転したわけではない。
気づきと、3次元的現代を生きることとの間には、現実的に橋渡しする何かがあるはず。

確かに20年もひとつの問題に縛られてきた。
生き方を変えることはできなかった。
でも、何もせずに過ごしてきたわけではない。
不自由な自分に向き合い、見つめ、観察してきた。
だからといって、それが報われるということもない現実もみてきた。
何も神様は私だけに意地悪しているわけではない。
そんな現実を人はコツコツ生きているのだ。

マザーテレサの名言集に、こんな言葉があった。

『人は不合理、非論理的、利己的だ
それでも気にすることなく人を愛せよ

あなたがいい行いをすると、
利己的な目的でしているといわれるかもしれない

目的に向かう時に邪魔する人がいるかもしれない
何かいい行いをしても、翌日には忘れられるかもしれない

自身が誠実なことで、かえって自身が傷つくかもしれない
助けた人から恩知らずの仕打ちを受けるかもしれない

それでもあなたの中の最良のものをこの世に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたとあなたの内なる神との間のこと
あなたと他の人の問題であったことは一度もないのだ』

自分の問題に照らして読むとき、私なりに理解できる気がする。
気づきと、3次元的現代を生きることとの間に、現実的に橋渡しする何かがあるとすれば、大切だと思うことをやり続けることだ。
そして、誰かが毒づいた時に、私の中の穏やかで平和な感覚は、またやり続けることを後押ししてくれる。





sensory11





sensory9






sensory10






sensory8







sensory6







sensory7








sensory14