この記事のみを表示する32、センサリーアウェアネス

32、センサリーアウェアネス

自分の中の平和な感覚。
どんな困難な時にあっても、中心は傷つかない。
中心には、穏やかで平和で、淡々と刻む生のエネルギーが存在している。

原因不明の発声障害に閉塞的な日々を過ごしてきた中で、私が得たささやかな悟りは、前向きなエネルギーに満ちていた。
その感覚を後押ししてくれた、忘れられないワークがもう一つ存在する。
センサリーアウェアネスだ。

鮮明に記憶に残るのは、2005年頃、ゴールデンウィークの最中に伊豆半島の入り口あたりの海と山が美しい場所で行われたワークショップだ。
日本ではおなじみのジュディス・ウィーヴァー師のもと、2泊3日のスケジュールで参加した。
当時の私は、ニューエイジ系のワークには一区切りつけて、鍼灸学校へ入学したばかりだったので、余計記憶に残っている。
全日制の学校で学ぶ決心はしたものの、本当に治療家になるのだろうか?
なれるのだろうか?自分の問題にはどう向き合っていくのだろうか?経済的にやって行けるのだろうか?声の仕事はどうなるのだろうか?と、自分で選択したことながら、気持ちがワサワサして得体の知れない焦燥感にさいなまれていた時だった。
それまでにもジュディスのワークショップは体験済みで、静かに自分と向き合えるスペースであることはわかっていたし、生活に追われている日々から抜け出し、ホッとする時間を過ごしたかった。

センサリーアウェアネスを説明するのは難しい。
ワークの内容は、呼吸したり、歩いたり、座ったり、触れたり、見たり、聴いたり…といった日常の当たり前の動作をつぶさに見つめ感じていく。
前述のアレクサンダーテクニックが、動きの中から、身体の理にかなっていないことを引いていくのに対して、センサリーアウェアネスは、そのものをそのまま感じていく。

初めてワークショップを受けた時のエピソードだ。
新鮮な驚きを感じたのは、『座る』というごく日常的な動作だった。
がらんとした部屋の好きな場所に、参加者銘々が腰をおろしてワークショップは始まった。
ジュディスの誘導で、座っている状態をつぶさにみていく。
ちょっと退屈で、でも、こんなあたりまえのことから何が起こるのかという興味で、はじめは頭の中が忙しかった。

『今、あなたは床に対してどんな風にいますか?』『床に触れている部分は、どんな感じですか?』『床は、あなたに対してどんな風に存在していますか?』『その時、呼吸はどうですか?』
正確な記憶ではないが、こんなジュディスの言葉が、程よい間合いで響く。
あえてなのかそうすることが定番なのか、翻訳的な通訳の言葉が、何か新鮮な感覚を伴って届いてくる。

『床は、あなたに対してどんなふうに存在していますか?』
その問いかけにドキッとした。
自分で自分を支えていたいたことに気づく。
床は、動かない。ひっくり返らない。そこを信頼して身を委ねれば、私は楽でいられる。
当たり前のことを確認して、数分前よりどっしり座る。
呼吸が深くなって肩が下がった。
ちょうどロルフィングを受けていた頃で、脱力がテーマだった頃だった。

当たり前に馴染んできたことの中から、あ?と思うことを見つけると、途端に日常が輝き出す。
苦行の果てに何かを発見したり、成し遂げたりするという大仰なことでなくてもいい。
ホンの身の回りの自分にとってのリアリティや新発見が、日々を過ごしていく糧になると感じた。
そしてまた進んでいける。