FC2ブログ

この記事のみを表示する31、私の中心は傷つかない

31、私の中心は傷つかない

クラニオセイクラルワーク、スリーインワンコンセプツ、アレクサンダーテクニック、ロルフィングなど、西洋医巡りを諦めた後に体験したワークを振り返ってみた。
こうして当時をふりかえり文章におこしてみると、心に残るワークは、やはり得るものが多かったと感じる。
最も救われたのは、自暴自棄にならずに、静かに自分を受け止めようとしたことだろうか。

それらのワークが直接症状の緩和に結びついたという手応えがあったわけではなかった。
むしろ、コントロールが効かないような激しい発作は、これらのワークを受けあとから出るようになった。
現場から帰されたのも、どうにも調子が悪く、ついに仕事を代わってもらったのも、本番前まで何ともないのに、本番でいきなり発作が出るようになったのも、これらのワークを受けた時期よりずっと後になってからだ。

少し晴れ間が見えては、また暗闇へ突き落とされた。
かとおもえば、突然、一瞬の晴れ間がのぞき、その度に私の気持ちも乱高下する。
それでも、いい時も悪い時も、状態を随分詳細に観察できるようになってはいた。

そんな日々を過ごすうちに、いろいろなワークが、私をその状態から救い出してくれるという幻想は消え、私自身が、そのワークを症状改善のための道具として使いこなせることが大切なんだという考えに変わってきた。
そして、新しい発見があったりいい感覚がよみがえると、それを再現できるように何度も繰り返した。

スリーインワンコンセプツで発見した喉頭の動きもそうだ。
甲状軟骨を指で上へ持ち上がるようにすると、詰まりにくいことがわかった。
甲状軟骨の動きと連携して、舌根の動きが硬かったこともわかった。
以前はずっと上がった状態で固定していて、裏声とリンクしていた感覚が嫌で、今度は逆に下げた状態で固定するようになってしまっていることも発見した。

声が通る道は、前の方より後ろの方が、詰まらずに抜けるイメージができた。

ある時は、みぞおちに不穏な感覚がなく吸気がストンと下に落ちると、呼気にのせる声もブレずに出ることがわかった。
ちょっとした骨盤の傾きで、どっしりできる感覚も見つけた。

また、ロングトーンがブレずに出るのが、調子のいい証だとわかった。
ボロ泣きした後は、だいたい調子がいいこともわかった。
レシーバーからの自分の声の返しの音量も重要だと気づいた。

ある時は、完璧すぎて、もはや調子の悪い時を思い出すことができないぐらいの時もあった。
あ、なんだ、簡単だったんじゃん。
何悩んでたの?
すっかり大丈夫という気持ちでスタジオに入ると、途端にもどかしさに襲われることも度々だった。
さっきまで確実だった気づきが、途端に幻と変わる。
いい感覚を再現しようともがくが、もがけばもがくほど遠のいていく。
そのくせ、違和感だけは、いつもと寸分違わず、まるで雛形にハマったように納まる。

今日出来る最善を尽くしたんだからよく頑張ったよと、自分に声をかけてみる。
しかし、自分のせいで仕事を最上のところへ持っていけなかったという申し訳ない気持ちがくすぶる。
いつまでたっても晴れない気持ちは、ちっとも納得していない証だ。
気持ちの切り替えが出来ないまま自宅に戻ることができずに、家の周りを無駄に何周も歩いたこともあった。

それでも、仕事はやめなかったし、ワークも続けた。
曇り、嵐、時々晴れをずっと歩いてきた。
曇りや嵐は、確かに胸をかきむしりたくなるほど、辛かったり苦しかったりするが、そんなときでも、同時に、平和な自分も存在しているということを感じさせてくれた。
もちろん、嵐の渦中は、そんなことを考える余裕すらないが、表層の嵐を突き抜けるところまで行くと、中心には、穏やかで平和な自分も必ず存在している。

クラニオのロングタイドのリズムは、まさにその象徴だ。
どんなに表層がささくれ立ち困難な状況にあっても、中心のリズムは、穏やかに生を刻んでいる。疑うことを知らない、当たり前で淡々とした生のエネルギーだ。
クラニオを受けた後の幸福感は、そのことを実感させてくれる。
昨日の延長の今日、昨日までの問題が何か変化したわけではないのに、ふと気づくと、その前よりも前向きになっている自分がいる。
ロルフィングで気づいた体重をあずけることで得た安心感、何かを加えることをしなくても、今の自分で十分幸せに生きていけるんだという思いが突き上げてきたこと…
自分の中心に、表層の変化に振り回されないどっしりした自分が存在している。

さまざまなワークから、
『大丈夫、どんな困難に見舞われても、あなたの中心は傷つかない』
そんなメッセージを受け取ったからこそ、仕事も辞めずに歩んでくることができたのかもしれない。
有り体に言えば、それが自分自身を受け入れるということなのかもしれないと気づいた。
中心は傷つかないとわかったから、受け入れられる。
この答えは不変だろうか?
表層の嵐が絶え間ない日々の生活で、この答えが揺らいだ時に、中心の自分を静かに確認したくなる。
一つの嵐が去れば、またじきに次の嵐がやってくる。
猜疑心が強く、そのくせ忘れっぽい私は、発声障害という表層の問題をテーマに、何度も何度も確認してきたのかもしれない。

治療する側の立場になった今、この確認は、患者さんに対する時の基本姿勢にもなっている。
どんなに困難な病にあっても、その人の中心は、傷つかない。
中心には、穏やかで平和で、淡々と刻む生のエネルギーが存在している。
そこを拾うことが一番大切だと、自身の問題を通じて学んだ。