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29、アレクサンダーテクニック

jisutoni

前回のKさんの奥様が描いたイラスト。
右肩に乗っているのが、『ジストニー先生』
太陽が輝く背景のイメージは、『ガンバの冒険』だそう。
このイラストに限らず、普段の生活の中でも、大変な出来事をいっそこっちの方から楽しんでやろうというKさんに姿勢には、潔さと清々しさを感じる。
私が、この『ノンフィクション発声障害』を書こうと思ったのも、Kさんのそんな姿勢に触発され、自分も前向きに何かしたいと思ったのがきっかけになっている。

臨床内容については、こちらをご参照ください。

Kさんは、継続して治療を受けてくれているが、お互いが同じボディワークを受けていたことで、表現しづらい身体の感覚をある程度共通の言語で共有できたと感じている。
それは、『アレクサンダーテクニック』という、1900年代初めに、オーストラリア出身の舞台俳優が確立した効率的な身体の使い方のメソッドだ。
クラニオに少し遅れて興味を抱いたエクササイズ系のボディーワークで、私が声の問題で悩んでいることを知った友人が教えてくれ、『声が出なくなった役者が、自分で作ったメソッド』という説明に興味を持ったのがきっかけだった。

私の発声障害を画期的に変化させたというわけではなかったが、症状の出ている状態を分析し、自分にとってのニュートラルの状態を身体に覚えこませることに有効だった。
また、治療をする側になって、『外側からの刺激を少なく、はじめから患者さんに備わっているもので変化させる』という方向性も示してくれた方法だと感じている。

発案者の舞台俳優フレデリック・マサイアス・アレクサンダーは、舞台で度々声が出づらくなるという不調に見舞われて、医者の診察を受けたが有効な治療法は見つからない。
そこで、自分で原因を突きとめるべく鏡の前で声を出す状態を観察していったという。
あるときに、彼は、声を出そうする瞬間に首を緊張させていることに気づき、その動作で声帯が圧迫され喉に負担がかかっていたことを見つけた。
この気づきがきっかけとなって、頭と首と背中の正しい協調関係が、余計な緊張がない身体の使い方に結びつき、本来持っている力が遺憾なく発揮できると唱えた。

何かをしようとする時の緊張、その延長線上の身体の使い方。
無意識のまま蓄積されたその癖を、覚醒して見ていき、修正しようというものだ。

私は、当時30セッションぐらい集中して受けた。
私のティーチャーは、イギリス系フランス人で、アレクサンダーテクニックは、幼い頃から身近にあったという。
また、欧米では一般的なワークで、特に演劇学校や音楽学校では、必修といえるほど重要なカリキュラムになっていると聞いた。

セッションは、『立つ』『座る』『歩く』『横を向く』『下を向く』『足を上げる』『腕を上げる』『口を開ける、閉める』『壁立ち』『仰向けになる』などの基本的動作を繰り返し行っていった。
頭の角度や、それに伴う首の緊張を感じ、ティーチャーが添えるほんの数グラムの手の感覚で、ニュートラルなところへと修正していく。
基本的な解剖図がイメージでき(アレクサンダーではそのことを『ボディマッピングという』)自分の動作が、頭の中の正しい解剖図に重なり合うと、ピタッと決まった感覚が訪れる。
すくっと身体が上へ伸び、余計な力みがなく重力に対するバランスだけで立っている感覚だ。
私は密かに、『やじろべえになった』とか『秋田の竿燈理論』などと呼んでいた。

単純な動作の繰り返しで、はじめは退屈だと感じていたレッスンも、初歩的な解剖学の積み重ねとこのピタッと決まった感覚を感じることで、ふと気づくと集中している自分がいた。
またティーチャーの数グラムの手の補助は、クラニオのタッチにも似ている。
そっと添えられるだけで、 筋膜がゆらゆら調整を始め、鼻腔の奥がピチピチと音を立て、鼻が通ることもあった。

ピタッと決まった感覚は、心の平穏ももたらす。
気持ちが静かになり、何時間でも座っていられる。
瞑想のスペースというのはこういうことなのかと思った。
また一つ、心と身体の関係の深淵さに触れた気がした。

前述のKさんは、症状が激しく出ている時は、顎や歯茎、唇、舌などが一つの塊のようになって、感覚がわからなくなるような状態に陥ったという。
そんな時に、ここは下顎で、こういう動きをする。
正中はここで、首と頭はこんな関係だ。
今、舌は歯茎に対してどうなっているのか。
舌根は上顎とどう接するのかなどと、一つづつ確認し、そうしたことが冷静さを取り戻し、感覚を呼び戻すことに役立ったという。

私は、その渦中では冷静に対処できる余裕はなかったが、良い状態の時にその感覚を確認したり、症状を再現させて悪い感覚を一つづつ潰していくというエクササイズとして、効果的だったと感じた。
良い状態の時に、ニュートラルな感覚を理論的に確認し、身にしみつかせておくことは、症状が出そうな時のコントロールには充分役立ったし、激しい症状を食い止めることはできないまでも、今までよりは、幾分冷静に、その渦中の自分を観察することができた。
そして、自分の心と身体のニュートラルをワンステップ確実なものにしていけたと信じている。

この時期から15年も経って治療する側にまわり、身体の使い方や発声障害や声の出しかたについてまとめてみると、この当時の体験が活かされていることに気づく。

こちらをご覧ください。

アレキサンダーテクニックの30セッションはホンの入り口にすぎず、身体に定着させるには、さらに長い時間のトレーニングが必要らしいが、当時の私は、とにかく興味を抱いたことは確かめずにいられない時期で、他にもアンテナに引っかかるものがあり、一旦お休みすることにした。

お休みする直前に、奇妙なことを体験した。
仰向けで横になり、腰や背中、肩、腕、足と、床に重さをあずけながら緊張を解いていく中で、不意に舌根がグッと下がって気道を塞いだ。
もちろん、一瞬で反射的に元に戻したが、とことん脱力するということはそういうことだ。
普通、脱力は大切と言いつつ、必要な支えは無意識でも働いているものだ。
私の緊張を解くというトレーニングは、ひとまず成果を得た気がした。
これは、後になってからそうだったのではないかと分析したことだが、声の出し方で、それまでとは違った使い方をしようと、対極へ針が振れたときに近い危険信号を感じたのだと思う。

また、アレクサンダーテクニックをお休みして少しした頃に、今までに経験したことのない激しい腰痛に見舞われた。
夜中に寝返りを打とうとしても、痛くて動けない。
少しづつやっとの事で体勢を変えるが、朝も痛くて起きあがれない。
小さく丸まって、少しづつ起き上がれる体勢を作っていく。
起きだして動き出すと徐々に治まってくるが、寝るとまた夜中に痛くて動けない。
寝るのが怖い。朝が怖いという日々が続いた。

今なら、幾つかの可能性をあげることができるが、多分、極端に脱力する方向に振れたせいではないかと思う。
無駄な緊張を解くことは大切だが、緊張せざるを得ない事情もまた存在する。
外側の緊張を解くには、内側の軸がしっかり働いていないといけない。
インナーマッスルだ。
支柱となるものを意識せずに身体を使った歪だと、今では分析できる。

この時の体験は、教わったワークをそのままなぞるのではなく、自分にとって必要なものを取捨選択して取り入れるということにつながり、また治療する側として、いろいろな事情を持つ個々の患者さんの治療に反映させるべき大切なことを学んだと思っている。

次は、受けた時期は、これより少し前になるが、ロルフィング系のボディーワークについて触れたい。