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27、回路のでき方

病の原因を心とのつながりで見ていくことは、深追いしすぎても無視しすぎても良くないのかもしれない。
そこらへんを、いい加減で、ほんとに程よい加減で、スルスル通り抜けられるのが、きっと現実を生きていく賢い術なのだ。

発声障害の始まりは、電気回路のほんの不具合だったのかもしれない。
単純な不具合を繰り返すうちに、その時の不安な気持ちや出来事の記憶が発声障害という不具合とセットで蓄積されて行き、いつからか不安な気持ちやちょっとした出来事が不具合と招くという逆走パターンになるのではないかと思った。
気づいたときには、かなり太く余計な神経回路ができているということだ。

その回路ができるプロセスを、多くの人が誰でも抱えてしまいがちな感情まで掘り下げれば、感情が原因という理屈は成り立つと思うが、そうなると、もう世界中のいろんな問題がそこに集約されることになる。
私自身の物理的な問題に行き着くまでのいくつかの層を、私はセラピーでコンパクトに体験したのかもしれない。

体験したことは少なからず身になるということも実感した。
自分は、こういうパターンで物事を考える傾向がある人なんだということが、よくわかると、同じような状況に陥った時に、あ、また同じことをしようとしていると、少し冷静な目で自分を見ることができる。
その渦中の時は、とても近視眼的な物の見方になっていて、自分のパターンに陥りやすいものだ。
それに気づくことで、無防備にズルズルと同じ罠にかかるという状態から脱することができる。
日常生活の中で、自分の中に、もわーっと嫌な感情が湧き起ってきたときは、一歩引いて、パターンに飛び込みそうになっている自分を観てみた。
日々の生活の中で、ネガティブな出来事よりもポジティブな出来事を拾うことを心がけ、特に、どんよりした時こそ、小さなことでいいから『今日のOK』を探した。
発作が出たときは、『大丈夫、乗っ取られたままではない、絶対に元に戻る』と言い聞かせ、その場を乗り越えられたら、解放された感じを思いっきり味わうことにした。
つまり、新しいポジティブな回路をどんどん作っていくことだ。

心理系セラピーに関しては、発声障害に役立ったというよりも、もっと根本の、自分の物事の捉え方やそれに伴ってつきまとう感情を把握することに役立ったと思う。
そして、感情の解放について言えば、手放せたものも手放せないものもある。

実家に戻って数日過ごし、東京に帰ってくる時の何とも言えないモヤモヤした気持ちは、初めて感じた十代の時と全く変わっていない。
先行きどうなるのか全くわからなかった十代の頃、学校を出て職に就き自活できるようになった頃、介護で行き来する今…
年齢も状況も全く違うのに、帰るときに去来する思いの質は、一ミリも変わらない。
何か後ろ髪引かれる思いや、でも自分が選んだという譲れない思い、寂寥感、心細さ…
ずっとずっと当たり前のように続ければいつかは日常になるはずと言い聞かせ、自立した大人になればきっとなくなると言い聞かせ、続けてきたが、その瞬間は、いつもと同じ何とも言えないモヤモヤした気持ちがこみ上げてくる。
家族の問題は、私にとって特大級の何かがあるらしい。
それでも、あ、また同じ気持ちになっている自分がいると認めつつ、誰のせいにもしないで、今自分ができることを淡々としていくというスタンスは、ここ数年で私自身が作り上げた新しい回路だ。