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2、ついにその日はやってきた

最悪の出来事が起こったのは、1998年の夏だったと記憶している。
都内のとあるスタジオのアナウンスブースで、私は、それまでに味わったことのない恐怖心と戦っていた。

当時、俳協という事務所に所属するナレーターだった私は、その日も事務所からの仕事の指示で、都内のあるスタジオにいた。
内容は憶えていないが、確か20分ほどのビデオパッケージのナレーションを2本収録する予定だった。

度々訪れる声が出しにくい感じが、その日は朝から続いていた。
このままだったらどうしようという不安はあったが、今までなんとかしのいできたので、代役をたててもらおうという発想はなかった。
事務所に所属しているとはいっても、受けた仕事は、受けた個人が責任をもって全うしようと頑張る。
それが、多分この世界の大方の人間の仕事の仕方だと思う。

スタジオに入ってからも、調子は戻ってこなかった。
気持ちのいい響きが感じられないので、痰をはらうように小さく咳払いしてみる。
確かにわずかながらもしつっこい痰は存在するけれど、それが調子の悪さの親玉ではない。

空気が漏れてスカスカした声になっている。
聴いている人にはわからない程度のスカスカかもしれないが、本人が感じる『あ、違う』という感覚は、
さらに焦りを増長させる。
息漏れがある声でも、気持ちよく身体が鳴ってコントロールできていれば、逆にそれは個性で魅力的なものになる。
ハスキーな声はその典型だ。
時々風邪をひいた時に、いつもは出ない低音の音と普通の状態では作ることのできないちょっとかすれた声が出ると、いつもと違った自分にワクワクすることがある。
しかし、今はそんな状況ではない。

スカスカしながらも喉は異常に締まった感じがあって、時々、変声期の男の子が苦しそうに音を出すような押しつぶされた音になる。
かと思えば何かしらのイントネーションの変化の時に、クッと一瞬声門が閉まり音が脱落しそうになる。実際に脱落することもある。

センテンスの頭の部分でなんとか使える一声が出ても、終わりの部分までには、必ずそれらの違和感が襲ってくる。運良く終わりまで行けても、声を出せば出すほど嗄声がひどくなり終盤ではほとんど響きが感じられない。
発声が気になると、内容に集中できずに読み間違える。
中断のほとんどが、私自身の責任によるものだ。

焦る気持ちは、プライドや自分自身に対する信頼感を根こそぎ奪っていった。
同じ場所で同じような詰まりや締まった音でNGが出ると、一気に不安が押し寄せる。
次もダメかもしれない…
その箇所に読み進めていくと、吸気が浅くなり声を乗せる呼気も小刻みに震えだす。
永遠にその場から逃れられないような恐怖感に襲われた。
そして、何でもないたった数秒のワンセンテンスが、気が遠くなるほど果てしなく遠い道のりに感じられた。

それでも何とか一本を収録したところで、ディレクターがブースに入ってきた。
『2本の予定でしたが、とりあえず今日はこれで終わります。お帰りいただいて結構です。追って事務所に連絡いれますので...』
何と言葉を返したのか憶えていない。
ただ、中断せざるを得なかったのは100パーセント私のせいで、今後の進行に少なからず影響が出たはずなのに、責めるような言葉が一言もディレクターから発せられなかったことだけは記憶にある。
その時まで20年近いキャリアの中で、自分のせいでスタジオから帰されたのは初めての体験だった。

新人の頃に、私の技量不足で収録を煩わせてしまったことは確かにあった。
それとは明らかに違う。
私の身体で、機能するべきものが機能していない。
それまでずっと当たり前にできていたことができないのだ。
しかしそんな言い訳が通じる場でないこともまた承知している。
何十年のキャリアがあろうと、私たちの仕事は一期一会なのだ。
極端にいえば、ベテランも新人もその一瞬一瞬で評価されそして次につながっていく。
たった今、私の評価は地に落ち、プロフェッショナルとしての最低ラインもクリアできずに返されたというのが真実なのだ。

スタジオを出てから、事務所に電話をいれて事の顛末を話し、これから迷惑をかけることになることを詫びた。事務所はすぐに代役の人選を急ぐはずだ。
精一杯の事後処理が終わると、ヒリヒリした気持ちも少し落ち着き、緊張で冷え切った身体に暖かさが戻ってきた気がした。
と同時に、自分の中に意外にも安堵の気持ちが広がりつつあることに気づいた。

ほらね。やっぱりそうだったでしょう?
気のせいでも神経質すぎるのでもなく、現実に悪い方向へ向かっていたということなのよ...という内なる声。

私の中では、もう数年前からいつかこういう時がくるかもしれないという予感があった。
ある時期から、ふと気づくとカチッとはまった感のない仕事が続いていた。
それでも現場で問題なくOKは出ている。
仲間に聞いても、マネージャーに聞いても、よくオンエアを観てくれる友人に聞いても、いつもと変わりないという。
自分が感じる違和感を自分以外の人間が認識するまでには、きっと時差があるのだと思った。
だとすれば、自分だけの違和感のうちに何とかしなければならないともがいていた。
そして、この違和感が、いつか白日の下に晒されるという恐怖が、いつも心の中にあった。
そんな日々が数年続き、自分だけの違和感は次第にその陰影を際だたせながら蓄積し、ついに臨界点を越えて外に溢れ出した。
それが今日なのだ。

現実になった恐怖からは、もう逃げようがない。
はからずもこみ上げてきた安堵の気持ちは、私が今まで作り上げてきた恐怖の世界が、一旦崩壊したことを意味していた。
もう逃げる必要はない。何とかしようともがく必要もない。充分に白日の下に晒されたのだ。
この状況の中の皮肉な安堵感に、私はしばし身をゆだねていた。

これからどうしようでもなく、何を考えるでもなく、誰に会いたいでもなく、渋谷のプラネタリウムに入ったことを憶えている。
午後の陽も高い時刻のプラネタリウムは人もまばらで、たった今起こった現実からしばし私を隔離してくれた。
星の並びも名前も、季節も時間も何も頭に入ってこない。
誰にも表情をうかがわれることのない暗闇と、後ろに倒したシートに身体をゆだねた時に、やっと一つ大きな呼吸をしたことだけが記憶に残っている。