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8、今を否定

マイクに向かった時の構えた状態を極力排して、話声の声の高さをそのまま仕事場に持ちこんだ。
出だしの音は、まず今までの音を頭に描いたら、あえてその音を低いほうに外した。
基本になる音の高さを下げて、特に、それまでは裏声で強調していたワードは、高低ではなく、微妙な強弱や緩急など、他の表現法で際立つように工夫した。
明るい裏声とセットだった息の強さも封印し、口輪筋の緊張を極力排した。
滑舌が良すぎることも、硬さやある種の画一的な表現に結びつく。

声にする一瞬前に、今までの自分のやり方を思い出し、それを否定することを拾っていったら、そういうところに落ち着いた。

こうして、普段の何気ない会話や独り言の時の呼吸や発声、構えることのない無防備な状態の自分の声を探した。

今まで、表現に関しては、それまでやってきたこと以外の発想がなかったので、新たな試みは、ワクワクすることだった。
しかし、現場のプレビューで確かめると、自分で変化をつけたと思うほど変わっていない。
少しづつ修正を加えながら、自分の内的な感覚と実際に表現に反映される音との違いを埋めていった。

とても充実した日々だと感じていた。
明確なテーマと目的が見つかり、なりたい自分も見えている。
自分の試みを密かに現場で試せるだけの仕事が回っているということも嬉しかった。
実際、繰り返し現場に呼んでもらえる割合も多くなり、自分がひと段階ステップアップしたという手応えも感じられた。
このまま突き進めば、なりたい自分に近づける。
なんの疑いもなくそう感じていたし、予感があった。
そこにネガティブな感情など、一ミリも入り込む隙間はなかった。

しかし、なんの不安要素もない仕事をしていると思っていた中で、ふと気づくと、喉に違和感を感じることが度々起きてきた。
わずかに息が漏れる感じ、語尾が割れる、喉に一枚膜が張り付いたような違和感。
あれ?まただ。何だろう?
そう思い、軽く咳払いをしてみる。が、取れない。
かと思うと何事もなかったように声が出せている。
ふと気づくと、また違和感に見舞われている。その繰り返し。
だが、変だなと感じる割合は確実に増えている。

初期の頃は、楽観的だった。
ある時、ならば前の喋りに戻して、ここはとりあえずOKをもらっておこうと、姑息な手段に訴えた。
元居た場所には、一瞬で戻れる自信があった。
しかし、声を発した途端、大きな肩透かしを食った感覚に襲われた。
あれ?どうやって戻るんだっけ?
裏声で喋っていた時の喉の感覚を再現できない。
というか、喋りはじめの一瞬前、スタンバイの時は、どうしていたんだっけ?
出だしの音は、どうやって決めていたんだっけ?
呼吸はどんなタイミングでしていたんだっけ?

身体にしみつくほど慣れ親しんで、抜けるのに苦労した場所なのに、こんどは戻る方法がわからない。
ここに来て、自分が何かよろしくない方向に進んでいるのではないだろうかという不安が頭をもたげてきた。

ここで文章として読むと急激な変化が起こった印象になるが、この第一段階の変化は、数ヶ月かけて徐々に起こった。
しかし、自分の表現をみつけるという希望に満ちた試みの中で起きたことは、紛れもない事実だ。
私の中に、この希望と絶望の始まりは、対となって存在している。

数年たって、この一連の出来事の背景に、どのような心と身体のバランスが存在していたのか、心の底から納得する体験をした。
そのことは、後述する試した治療法やエクササイズのところで触れたい。

不思議なことに、今まで得意だったストレート系の表現がこの上なく苦しくて、モノローグ的だったり語り的だったり、新しい試みの表現のほうが音声的な問題は影響が少なかった。
皮肉なことだが、その時の自分を否定することで、なりたい自分に少し近づけたのかもしれない。